【あらすじ】月と散文 読書記録14
月と散文
又吉直樹
ピースの又吉さんによる小説「火花」が世間的にブームになってから、彼の書く本には興味を持っていた。
そんな中、最近よく店頭でも目にする「月と散文」は10年ぶりのエッセイ集なんだとか。
少し前から読みたいなと思っていたら特集コーナーみたいなものが設けられていたので買ってみた一冊。
エッセイというジャンルの本を僕はあまり読んだことがなかった。
エッセイとは
→自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。
俳句とか詩歌とかのようにルールがある?訳でもなく、自分の体験から思ったこと感じたことをすきに綴るというものみたい。
この本の帯には
「センチメンタルが生み出す爆発力、ナイーブがもたらす激情。」
と宣伝されていた。
ピース又吉といえば、長髪で暗く独特な雰囲気の持ち主として知られていると思うし、僕も熱狂的なファンではないのでそのような印象である。
そんな彼が日頃の体験からどんなことを感じ、考え、日々を過ごしているのかを知りたい、こんな単純な欲求が初めてのエッセイ集購入の決め手になった。
本書内では60〜70個程の様々なエッセイが集められている。
個人的に好きだったものをいくつか紹介&感想を述べようと思う。
日常に起こるあるあるをうまく実体験を使って表現している一エピソードで、「自分がその当事者になるとこれまで気にもしていなかったことが全部気になる」みたいな感覚を表したお話。
こないだクリッパ(リュックを床に置かなくてもテーブルに引っ掛けることができるアイテム)を買って便利だなぁ~って思ってたら、町中を歩くビジネスマンの、体感8割くらいはリュックの背中の持ち手のところにクリッパが付いていることに気付いた。
これまでクリッパの存在を認知していなかったから、8割のビジネスマンのリュックにクリッパが付いていることなんて気づきもしなかったけど、使い始めてからビジネスマンのリュックを見かけるとクリッパの有無を確認するようになってしまった。
そんな話を、このエピソードから思い出させられた。
「だるまさんがころんだ」という遊びをこんな視点で見たことはなかった。
動いて鬼をタッチしに行く人たちの役割を、偉人たちの煩悩と考える。
「だるまさんがころんだ」は完全な存在などいないということを伝えてくれる遊びである。
なにこの世界観。
個人的採用は、北海道の「クラークが悲観している」で。
気になった方はぜひ。
〇読書記録
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