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短編小説 メリーさんの電話
父の転勤が決まった。
東京の本店から、仙台支店に異動とのことだ。目安の期間は三年。期間を終えればまた本店に戻ってくる予定だという。
単身赴任反対派の母の意向により、私たち親子は三人一緒に仙台に引っ越すことになった。
「ねぇ、この人形どうする? 前にアンタがおばあちゃんに買ってもらった、外国製のお人形。これけっこういいヤツよ」
母と私は引っ越しの準備をしていた。母が私に、可愛がっていた人形を捨てるかどうか訊いた。
「あぁ、メリーさんね。それ、もうだいぶ傷んでるし、捨てちゃおうかな」
長年大事にしていた人形だったけど、ずっと持っているのもどうかと考えた。愛着はあるけれど、きっかけがなければいつまでも捨てられないような気がする。この引っ越しが良いタイミングなのかもしれない。私は人形を捨てることにした。
荷物がすべて借家に運び込まれ、大きな家具はおおかた配置された。引っ越し作業があらかた済んだところで業者が帰った。父は家電の配線を繋ぎはじめ、母と私は段ボールから食器を出していた。
"ブブブブブブ、ブブブブブブ"
ポケットに入れていたスマホが震えた。取り出して画面を見ると、電話がかかってきている。しかし、名前と番号が表示されていない。機種の不具合だろうか。
訝しんだが、引っ越し当日ということもあり、業者からの連絡の可能性があると思った私は電話に出てみることにした。
「はい、もしもし?」
「あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの……」
イタズラ電話だ。私は怖くなって電話を切った。スマホにイタズラ電話がかかってくるのは初めての経験だった。番号を知っているということは、もしかすると知り合いだろうか。私は気味が悪くなった。
私はイタズラ電話を忘れようと、引っ越しの片づけに集中した。
"ブブブブブブ、ブブブブブブ"
また電話がかかってきた。今度は『通話』にしなかったのに、スマホが勝手に通話に切り替わった。
「あたしメリーさん。いま東北新幹線に乗ったわ……」
え?
東北新幹線? イタズラ電話の犯人は私の引っ越しを知っている人物に間違いない。最悪だ。友人たちとはうまくやっていると思っていた。仲良しと思っていたのは私だけで、友人たちから実は嫌われていたのだろうか? 私は悲しくなった。
"ブブブブブブ、ブブブブブブ"
さっきと同様に、勝手にスマホが通話状態になる。
「あたしメリーさん、いま八百屋さんに入ってジャガイモとニンジンを買ったわ……」
え? 何言ってんの?
意味のわからない報告だった。私は電話を切り、また作業に戻った。しかししばらく経つと、また電話がかかってきた。
「あたしメリーさん、いま別のお店でタマネギを買って、お肉屋さんでお肉を買ったわ……」
なんだろう……。このメリーさんは、なんで自分の買い物を私に報告してくるのか。
しばらくすると、また電話がかかってきた。
「あたしメリーさん、いまスーパーでカレーのルウを買ったわ。カレー粉から作るんじゃなくて、ルウで済ますつもりよ……」
くっ、スパイシーな香りと完成したカレーの映像が脳裏に浮かぶ。そういえばメリーさんがお肉を買ったことを思い出した。なんの肉を買ったのだろうか。代表的なカレーといえばポークカレー、ビーフカレー、チキンカレー……、各々の風味が鼻腔で再生された。メリーさんは、いったいどんなカレーを食べるのか。
今日一日引っ越しで体力を使った私の体は、薬膳料理でもあるカレーを欲しがるようになっていた。また電話がかかってきた。
「あたしメリーさん、ご飯が炊けたわ。これからカレーライスをいただくわ……」
ダメだ。こんなことを言われては、気持ちが引っ張られてどうにも辛抱たまらない。
「お母さーん、今日はカレーが食べたい!」
すっかりカレーの口になった私は、母に晩ご飯にカレーをねだった。