育休のススメ
手術室から更衣室へと小走りで向かい、慌ただしくロッカーを開けiphoneを開く。
5通ばかりの新着メッセージが表示され、それが義母からの連絡であることを確認する。
祈りながらそっとメッセージを開くと「可愛い女の子生まれました」の一言が目に飛び込んできた。
安堵のあまりその場で崩れ落ちそうになる身体を何とか壁に寄り掛からせ、そのメッセージに添付された我が子の写真をじっくり眺める。
上司に一言「無事産まれたみたいです。」と伝え、手術室を出てから電話をかける。壮絶な出産を終えたばかりで、まだ息の乱れる妻へ、心の底からお礼を伝えた。
コロナ禍での出産だった。
妻は里帰り出産を選択し、東京から遠く離れた片田舎で娘を出産した。
出産の立ち会いを希望していたが、一向に感染のコントロールがつかない都内からの面会者は厳しく制限されており、その希望は叶わなかった。
里帰りの2ヶ月前、身支度を終えたび経つ直前に妻の目から涙が溢れた。
妻曰く、妊娠によるホルモンバランスが乱れのせい、ということであったが、住む土地を離れ、一人で命懸けの戦いに臨むことへの不安は相当なものだったであろう。
遠く離れた地で妻が人生の大一番を無事に終えてくれたこと、初めて写真で目にする我が子のこの上ない可愛さに、芯から満たされた気持ちで仕事へと戻った。
僕は妻と我が子から遠く離れた都会で、父親になった。
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僕は男性医師では珍しく、育休をとった。
そもそものきっかけは高校の同級生だった。
7, 8年ほど前だろうか。卒業後もグループで連絡を取り合う気心しれた仲間の一人が徐に
と言い出したのだ。
当時は今ほど男性職員の育休はポピュラーでなかった。
しかも僕らグループは皆大手に就職しており、「働きまくって稼ぐぞ」という気概の奴らばかりであったので、思わず面食らってしまったのだ。
誰かが聞いたところ
実に彼らしい考えであった。
ただ、当時の僕はそこには妙に納得してしまい、
「自分も子供が産まれたら、育休を取ろう。」
と静かに一人で決意していたのだった。
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結論から言うと育休は正解だった。
生まれたての我が子の成長ほど尊いものはない。
新生児から乳児になる一生に一度の貴重な成長の記録を間近で見れたことは何にも代え難い。
また、産後の妻の身体の辛さと言うものも痛いほど身に染みた。
産後の損傷は重症の交通事故と同じレベルとどこかで聞いたことがあったが、全くのその通りである。
立ち座りもままならず、ヨロヨロと歩き、痛みや疲労と戦いながらも懸命に授乳する様に今でも頭が上がらない。
「産後の恨みは一生」なんて恐ろしい言葉があるが、この有り様をみると
「やりようによっては一生恨まれてもおかしくないな」
と感じたものだ。
育休の良い点は夫婦間の育児スキルに差が出にくくなることにある。
二人で慣れない状態から一緒に学習していくことは、いかにも子育てをしていると言う実感が湧いて良い。
これを母一人に押し付けてしまうと、心情的な不公平感が出るし、「技術的に母しかできない」ことも増えてしまう。
こうなってしまうと完全分業制になってしまいう。
後から取り返す様に「手伝うよ。」と声をかけても
「あなたがやると遅いし不正確だからいい。」
となってしまうわけだ。
僕ら夫婦は育児の作法を一から一緒に学んだ。
娘は母乳より粉ミルクをよく飲んだこともあり、僕はすべての作業を一人でできる様になった。
育休を取ることで、僕ら3人の生活は幸せな笑顔でのスタートとなった。
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令和の職場は育休に寛容だ。
せっかく時代の波が来ているのだから上手に乗るのも一つの手だ。
いつの時代も子育ては尊い行為である。
それをやって後悔することはまずない。
一方で、その尊さゆえに気をつけなくてはいけないこともある。
それは、子育てはやるべきことから逃げるための免罪符ではないということだ。
子育てを理由にやらなくてはいけないことに蓋をしてはいけない。
そんなことを我が子は望んでいない。
育休はいつか終わるが、子育ては終わらない。
子育てを理由に何かを諦めてしまえば、それは一生の癖になる。
ぜひその一点のみは心に留めていただき、あとは大いに子供との時間を楽しんでもらいたい。
そして夫婦二人、一つの目的に向かって手を取り合う時間は、互いを親として認め合うために必要な時間でもある。
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