孤独をカネに換えてゆけ
勤め先の一つであるA病院でちょっとした悲劇が起こった。
いつものように朝出勤し、白衣に着替え、コメディカルのスタッフ達と雑談をしようとした時のことだ。
普段なら扉を開け部屋に入るとワイワイと賑やかでくだらない会話が聞こえてくるはずが、妙に静かだ。
それだけではない。
空気が異様なほど重く、黒く濁り澱んでいる。
スタッフたちは皆下を向いている。
怒りとやるせなさの入り混じった、なんとも言えない苦々しい表情を浮かべながら。
第六感がアラートをビンビンに鳴らしてくる。
僕は一様に暗い顔をした面々の中で、最年少の話しかけやすい女性スタッフのSさんにこっそりと聞いた。
そこで返された言葉は、案の定悲劇だった。
地獄の空気の原因はこれか。
病院というものははどこもだいたい経営が悪い。
僕自身の過去の勤務先はどこも赤字続きだったように思う。
とはいえ、今回のように職員個人の給与にまで直接経営のダメージが波及してくるケースは初めてだった。
スタッフのショックも大きかったのだろう。
いつもふざけた親父ギャグを飛ばしているアラフィフのおっちゃんも、今まで見ることのなかった険しい表情で黙々と診療の準備をしている。
返す言葉もなく立っている僕に、Sさんは力なく笑いながら言う。
「これってあれなんですかね。」
「勝手に副業でも何でもして給料は自分で増やせ、っていうそう言う話なんですかね?」
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そもそもA病院のコメディカルの給与は決して高くない。
というか、はっきり言ってクソ安い。
特殊な診療形態で幾分勤務が短いこともあり、他病院と比べて給料は低く設定されているのだ。
病院規模も小さいため手当てや賞与も無いに等しい。
そんな状況なので、わずかばかりの年次昇給がスタッフにとっては唯一の期待だった。
それがあっさりと無くなってしまった。しかも通達なく。
そのショックは計り知れない。
実は、僕は半年ほど前、スタッフと雑談している時に何気なくにこんなことを聞いてみたことがあった。
コメディカルスタッフの給料が安いことは知っていたし、僕自身が副業を始めたこともあり、職場にも仲間がいれば励みになると思ったからだ。
彼らの反応は、こちらの期待とは随分かけ離れていた。
皆一様にキョトンと不思議そうにこちらを見つめ、
当時は皆どこ吹く風の雰囲気で、まるで他人事の様であった。
ところが、そこから1年もしないうちに、自らの勤め先が"給料の上がらない職場"と化した。
「これからは稼ぎが増えない」
唐突に衝撃的な問題が目の前に現れた今、彼ら彼女らの取るべき選択肢は限られている。
増えない稼ぎで働き続けるか、稼ぎを増やすために能動的に行動するか。
「一生懸命やる」とか「熱心に働く」とかそういう次元の話ではない。
スタッフ達は僕も含め全員「所詮時間を金で買われている勤め人」だ。
歯を食いしばって汗水垂らしたって、1円たりとも給料を増えない。
キャッシュポイントにアクセスできない労働者の汗はただの塩水だ。
そして、スタッフの中には家庭を持つ人や一家の大黒柱として働いている人もいる。
住宅ローン、子どもの進学費用など、これからお金はさらに入り用になる。
彼ら彼女らが今後思い描いてた額の金を稼いでいくためには2つの方法しかない。
より条件の良い職場に転職するか、自分個人でなんらかの稼ぐ方法をみつけるか、だ。
そしてその2つはいずれも、自分一人で考え、自分一人で行動を起こさなくてはならない。
静かに、そして孤独に。
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沈みゆく組織の中で飛躍するには、どこかで一度は孤独にならねばならない。
重力に身を委ねてる内に、自身では這い上がれない底の底まで沈んでしまうからだ。
沈みゆく船内から生存を望む乗員にとっね孤独は救命具であり、外の世界と戦う唯一の武器でもある。
孤独に身を置き、己の内面に向き合い、自分自身を針のように研ぎ澄ます。
自分一人では大きな会社が持つ莫大なエネルギーに到底敵わない。
個人のもつエネルギーは会社にひと踏みでペシャンコに潰されてしまうだろう。
総エネルギー量で言えば個人の力など塵に等しい。
よって、個人、とりわけ凡人が追い求めるべきは、エネルギー量ではない。
貫通力だ。
自己の内面の底まで深くまで潜り、己で磨き上げた孤独の針を武器に戦っていくのである。
大きな組織の持つ力とは明確に性質を変えていかねばならない。
研ぎ澄まされた個人の孤独の針は必ず誰かに刺さる。
孤独の中で葛藤し作り上げた創作物でもいいし、ニッチな層を狙ったサービスや商品でもいいだろう。
一人で孤独に削ぎ落とし、研ぎ澄ます。
このスタンスで、活動や発信を続けていくと知らぬうちに似たような仲間が集まってくる。
各々の針が同じベクトルを向き何本か束になった時、それは決して無視できない存在感を放つ。
働き方の変化で会社が以前のような結束力を持たなくなってきた現代。
研ぎ澄まされた孤独の針の集合体は特異かつ強力な集団になっていくだろう。
そんな理想的な集団の生成過程では、各々が一度は孤独に身を投じておく必要があるのだ。
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とは言っても、孤独とうまく付き合えないのが人間の性だ。
まず第一に飛躍のための孤独は自身で能動的に選択しなければ、その効果を発揮してくれない。
自ら意図せず、「組織で気づけば孤独だ」とか「同士がいない」というのはここで定義する孤独とは異なる。
ずばり、単に個人の性格に問題がある可能性が高いだろう。
飛躍のための孤独は、「自ら馴れ合いを捨て、能動的に選択した孤独」である必要がある。
自らの決意に紐づいたモノでなければ意味がない。
そうして孤独に飛び込んだ先にも障壁がある。
それは持続力の問題だ。
能動的に孤独に飛び込んだ人ほど痛感しているだろう。
孤独は著しい消耗を伴う。
途中で息が切れ、つい元のぬるま湯に出戻りし、ついサボりたくなる。
だが、自身を研ぎ澄ます前に馴れ合いに戻ってしまえば、いつまで経っても貫通力は磨かれない。
得るべき力を身につけるまで孤独に留まるため、必要なエネルギー源はなんだろうか?
やりがい?気晴らし?
いや、もっと強力な栄養素がある。
それは具体的な成果だ。
成果と言えば随分聞こえがいい。
最も汎用性が高くわかりやすい指標でまとめよう。
それはカネだ。
孤独に淡々と作業を継続し、信用を得る。先人達の目に止まりレイヤーを引き上げてもらえれば、カネはグッと近づく。
まずは100円でもいい。
カネを稼ぐ。
そうすれば、目に見える結果が自らを鼓舞してくれる。
孤独で己を研ぎ澄ましながら、その成果をガソリンにする。
少なくてもいい。小銭を稼ぐことで傾向と対策の分析もできる。
カネは孤独な戦いのモチベーションやエネルギー源になる。
孤独を恐れ臆病者同士で慰め合うくらいなら、孤独の中で成果を叩き出す方が、よっぽど自分自身を癒してくれる。
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A病院での悲劇から数日経った後、またSさんと話す機会があった。
そこで帰ってきた答えはこうだ。
これは極めて正常な反応だと思う。
僕だってSさんと同じくらいの年頃であれば同じように考え、不貞腐れていただろう。
怒りに身を任せて職場への罵詈雑言を吐いて辞めていたかもしれない。
乗り込んだ船が社会の荒波にのまれ、沈みつつある時。
一蓮托生で骨を埋める気概や愛があるのであれば、それもまた一つの生き方であろう。
ただ、「受け入れられない。」というのであれば、それはそのまま”納得できなかった人生”への片道切符になってしまう。
生存や飛躍を望むのであれば、自ら孤独と向き合い、一点突破の貫通力を養っていくべきた。
そして、そのための餌は自分で勝ち取る成果だ。
微々たるモノで良い。成果を上げ、自分の餌を自分自身で用意するしかない。
まだ僕より随分若く、まだまだ多くのチャンスを持っているはずのSさんに伝えたい。
孤独をカネに換えてゆけ。
孤独は暗く静かにあなたが訪れるのを待っている。
あなた自身が望んで飛び込んでくるその日まで。
ここまで読んでくださってありがとうございます!!
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