ベッドの枕元にあるこの本 (1532文字)
私の蔵書というか持っている本は、次の三箇所に格納し置いています。
①書棚の棚
②ベットの枕元に積み上げる
③机の周辺に置いたカラーボックスの棚
この配置は、読もうとする意識の強さと使用頻度によって区別されています。
①はそのうち読もうとしている本とか読み終えた本。とにかく重要な本です。
②は読む意欲が高まっている本です。枕元にはいくつもの本の山があります。地震などでその山が崩れると、顔の上に降ってくるので怖い感じです。
③は勉強のときに参照する本、事典、地図、年表など。
という感じです。
②の読まなきゃと思っている本の中に『アーベル(後編)楕円関数論への道』(高瀬正仁著 現代数学社)があります。
楕円といえば、20世紀の終わりにフェルマーの最終定理を証明したイギリスの数学者アンドリュー・ワイルズが、その論文において楕円曲線に関する志村=谷山予想を証明しました。このことはかなり以前にはNHKの番組を観て知りました。
志村=谷山予想がどういうものなのかまったく分かりませんが、日本人が持つ数学の才能の象徴的なものとして、「いつかは楕円曲線に取り組みたい。」と漠然と思っていました。もちろん、この山は険しく高い山であることは承知していますし、遭難の危険があることも分かっています。
とにかく、関係書籍を集めているうちにアーベルの業績を知り(数学の用語でアーベルの名が付くものが凄く多いです。)、この本にたどり着いきました。
私の仕事は文科系の書類仕事なので、数学を使うことなどありません。だから、ずっと「読む気はあるけど手を付ける切っ掛けがない。」という状態で枕元の本の山の中に埋まっていました。
ところで、なぜこのような状態になったのかというと、「将来、数学を勉強したい。」と考えているからです。つまり、数学を趣味の一つにしたいと思っているのです。独学で高等数学に挑戦しようというのはけっこう無謀だという自覚はありますが、それだけのやる気だけはまんまんです。
ところで、この本の題名が「(後編)」なのは、「(前編)」を読み終えたためベットの枕元から書棚に移動した、からではありません。「(前編)」がどこかに行ってしまい、見つけられないのです。
私は数学の本に限らず、本をぞんざいに扱うことはありません。捨てたり誰かにあげたりしていないはずなので(私は本を売ったことがないので、「(前編」)を売った可能性はゼロです。)私の書斎のどこかにあるはずです。しかし、それを探し出すことは枕元の本の山を整理しなければならず、その作業をすると本の場所が分からなくなるので、当面は放置することにしています(そうでなくても今1冊行方が分からないで、これ以上書斎に混乱を持ち込みたくないのです。)。
この「(後編)」が枕元に積んであることは私が数学に立ち向かう意欲の表れですが、その意欲とは裏腹に「(前編)」の行方が分からないというのは矛盾です。論理的には有り得ないことです。その矛盾が数学の本によって引き起こされているというのは皮肉です。
しかし私は、楽観的な人間なので、「そのうち見つかるさ。」と思い、毎日楽しく生活しています。
現在私の書斎の未読の本が大量にあります。おそらく私にお迎えが来る前に全部を読み切ることはできないでしょう。
現在はとある理由で高校の科目の勉強をしていて(自分が大学受験するわけではありません。)、そっちの方に時間を掛けているので、未読の蔵書に手を付けることはなかなかできませんが、数年後には自由になる時間が増える見込みなので、そのときに備えて読書意欲が尽きないようにしておきたいと思っています。