教育虐待

普段ガレソ砲を追っている訳では無いけれど、流れてきてたまたま目にしてしまったのでお気持ち表明をしたい。

私は幼稚園児までは祖母から、以降は父からマネジメントを受けてきた。この娘さんは私とは7つほど年が離れているので状況は多少異なる可能性はあるけど、無責任なお気持ち表明なので誤差の範囲とする。

完全に無駄だった、被害者だった、と言うつもりはない。というかいまだに教育虐待という言葉が自分に当てはまる気はしていない。
この家庭で育つことでしか得られなかっただろうこともたくさんさせてもらった。祖母とは若干疎遠だが、父とは和解している。

小学生までは噴火していた父は、中学生以降は徹底してアンガーマネジメントをするようになった。噴火の理由も「課題の進捗について嘘をついたから」というもので、酷い点数を取ったとか模試の判定が悪かったとか、そういった類で怒鳴られた記憶はない。父は祖母から怒鳴られまくっていたから、成績云々で怒ることは決してしないと心に決めていたらしい。

怒鳴らない、徹底的に理性的に向き合い、中長期的なゴールを確認し、計画を立てる。メンタルケアもする。このような点で戦記さんと父は似ている。

これは一見良い子育てに見えるかもしれないが、私自身は「すごく嫌だった」。

極めて効率的なものだというところが嫌だったのである。

例えば、
大した理由はないけれどなんとなく勉強が進まず、今日のノルマが達成できなかった日があったとする。

父が帰宅すると、パラパラとノートを捲られる。
「今日はどうしたのかな、何かあったのかな?」
もうこの時点で億劫になる。そもそも言語化するのが難しかったし、なんとなく気乗りしなかった、机に向かうのが嫌だった、というものが正当な理由になると思えなかった。
でも話が進まないのでたどたどしくなりながらも言う。
「そっか、どうして気が進まなかったんだろう?」
「気が進まないときに勉強をするモードに切り替えるためにはどうしたらいいと思う?」
「うんうん、そうだね、明日からまた頑張ろう。じゃあ明日からの課題量は調整しておくね」

こんな調子で全ての言葉が「目標を達成するため」に紡がれていく。

「将来どんなことがしたい?」
「そのためにはどんな大学に入る必要があるかな?」
「逆算して考えてみようね」
「ベストを目指そう」

こんなの息が詰まるに決まっている。
父とは常に身構えて話をしていた(というか面談をしていた)
思春期特有の悩みを相談したこともなくはないが、これまた効率を求める思考術を伝授されて終了。
恋愛を学生時代から排除しない親なだけまだ良かったのかもしれないが、「非効率的」「いかに調子を戻すか」という父の考えはしっかり透けて見えていたので、じきに相談しなくなった。こういう話は母にするようになって、父には黙っているようになった。

おかげで大学受験までまともに世間話もできなかった。寝る前にめんどくさい面談をするのが嫌で、父が帰宅する前に就寝するようになった。いわゆる家庭内別居だ。

その後の進路だとか学歴とか、そんなことは私はどうでも良くて、そこについて討論をする気はない。というか大学受験まで私は受験や勉強で挫折を味わったことはなかったので、マネジメントは有用だと思っている。

ただ、その時期は父のことを疎ましく思わざるを得なかったし、父を疎ましく思っていること自体が極めて苦痛で、「メンタルケア」ごときでは払拭できないものだったということだけ言っておきたかった。

教育虐待に限った話ではないが、家庭という閉鎖的な空間の中に「嫌いな人」がいるのは耐えがたいストレスだ。だから子どもに残された選択肢は2つ。「反抗するか従順になるか」
親を憎みきれないのは良い思い出があるからだけではなく、憎むこと自体にストレスがかかるからというのもあると思う。防衛本能として「私のことを思ってしつけてくれてるんだ」「本当は優しいもん」と自分に暗示をかける。周囲の人に聞く限りでは、高学歴な人は後者を選ぶ場合が多い。そして目標達成の有無に関わらず、皆潰れている。

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