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つぶやき…不登校


今日は不登校について。

我が家の第三子、四子が義務教育期間に不登校を経験し、その間の状況や私が個人的に思ったことなどを書きます。



まず三子は中学一年の途中から学校へ行かない選択をし、四子は小学四年生〜中学三年生までほとんど学校へは行きませんでした。


その間、三子は自身がやりたいこと(音楽、絵、創作)をしながらネットスクール↓で学習をし、

四子は一年間フリースクール↓に通い、その後にネットスクールに変更して三子同様やりたいこと(ゲーム、音楽、絵)をしながら自宅で過ごしていました。


「クラスジャパン小中学園」


「東京シューレ」


その他はお友達と時々遊んだり、私とは散歩がてら映画や美術館などへ行き、運動するなら水泳といった感じで、私が子どもの頃には考えられなかった自由時間を満喫していて、ちょっと羨ましかったです。

でも最初に四子が学校へ行くことを拒んだ時には「え⁈…」と動揺しましたね。全く想像もしていなかったという事と、当時は世間体を気にしていた私がいましたので。



その間の学校(先生)との関わり方は、三子は月一回学校へ行き担任の先生と面談をするというかたちを取り、

四子は学校へ行くことを拒んだため、私が月一回学校へ行き先生方と面談するというかたちになりました。


なんせ私も初めて経験することでしたし、身近に同じ経験をした相談できる方がいなかったこともあって、学校との関わり方については先生方の意向に沿うほかありませんでした。

トータル6年間に三子は中学校1校。四子はフリースクールも入れて3校ですが、私はそれぞれの学校、先生方と関わる経験ができ、人間模様など観ることもできてある意味勉強になったな、という感じです。


子どもたちが不登校を選択した理由ですが、二人ともHSP(ハイリーセンシティブパーソン)で、溜め込んだストレスが身体(皮膚、過食など)に見えるかたちで出てきたことも理由のひとつでした。


ですが当時、世間的にHSPの認知度が低かったのか…先生方の認知度が低かったのか…その辺のやりとりで理解していただけない先生方もいました。

特にご年配の先生でしたが、面談の中で「学校に来ることが良くて来ないことは悪い」という考えを基に話を進める先生もいて、その時期の面談は月一とはいえ私も不登校になりたかったです。笑


ま、だからこそ不登校の子が増えているのかも?と考えさせらたことも多くあり、そのような影響は子どもだけではなく、若い先生方も受けていたのかも…


子どもたちが不登校になる前、体調を崩して長期お休みする先生を三人見てきました。結構な確率だと思いますが、そのうち二人は子どもたちの担任でお二人とも原因不明の体調不良とのことでした。

先生方の間でどんなことが起きていたのか知る由もないですが、時代の流れと共に学校、先生、生徒関係のバランスも崩れているような感じを私は受けました。


そして子どもの交友関係を観て感じていたことは、昭和生まれの人間とは人種が違うということです。気質が違うといった印象です。

それに対し学校のシステムが追いつけていないというような理由もあって不登校の子も増えているのかも、と勝手ながらそう思いました。


ですが6年の間にコロ◯があったこともあり、タブレットが配布されたことなどで学習に関するシステムが目に見えるかたちで変化して、それに伴い先生方の意識(価値観)も大きく変化したように感じました。

なぜなら不登校6年目(四子が中学三年)のときには、ご年配先生のような方が現れなかったからです。


でも精神世界的視点からみたら、世間体を気にする私がいなくなったことでご年配先生が現れなくなったともいえます。

自分の中にある何かに気づくために他人が登場しますから。



当時は私も「学校行かなくて大丈夫⁈」とか「学校行かないとこの先大変なんじゃないか⁈」とか、まぁ心の声もザワザワと騒ぎましたが、

今となっては、学校行かなくても大丈夫ですし、学校行かないからといって大変なことも起きていません。


そういう時こそ「関心をどちらに向けるのか?」だと思います。

「問題」を観察し続けるのか、
「解決策」に目を向けるのか。



子どもが産まれるときには無事に産まれてくることだけを願うのに、

出来ることが増えるとそれが当然のこととなり、当然だと思っていることをやめようとしたら、それを止めようとする考えになったりもする…


全てにおいて忘れちゃいけないな、と思いました。

『 初心忘るべからず 』



お読みくださり、

ありがとうございました♡



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