金沢國際ホテル Vol.3
さて、ホテルスクールであるが…
2年目からは楽になるはずだった。
何故ならば、なんとか1年間教えてきたので、
多少膨らます必要は有っても、一から作る必要は無いからである。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
ある時GMに呼ばれ
「笹川、あんた英語はどのくらい喋れたっけ?」と聞かれ
「イヤー、全然に近いくらいダメですね!」と言うと
「まぁいいや、それは努力してもらうとして・・」
「???」
「イヤ、実はね、シドニーのインターコンチネンタルのホテルスクール
に行って、1年か2年、じっくり向こうのシステムを勉強してきてもらおう
と思うんだよ!」
「???」
「それでだ!英語が分からないのに、行っても英語の練習して帰ってきて
もらっても困るんで、1年で少なくてもTOEIC 500点位のレベルまでになって欲しい!」
と言われた。
シドニーの話しもよく理解出来なかったが、TOEICの500点というのは、
もっと理解出来なかった。
「とりあえず、クリスに誰か、あなたの英語の先生を見つけるよう頼んでおくわ!」
で一旦話しは終わった。
クリスというのは、クリストファー・ビューカス。
彼はアメリカ・コネチカット出身で、金沢工業大学で英語の講師をしていた人物である。
GMとひょんなところで知り合い、
「今度ホテルスクールを開校することになったので、お前チカラを貸せ!」
と質問ではなく、脅迫に近い言い方をされたらしい。
クリスは
「OK!私は教える時間が無いので、出来ないが、全体をコーディネートする
ことは出来る。テキストは何を使うとか、教え方とか、講師も私が決める。
但し、コーディネート料は、最低○○欲しい!」
と言ったらしい(ボクは後で本人から聞いた)。
するとGMは「いいよ!」と即答!
クリスは、その時心底驚いたそうだ。
そんな開校するばかりの貧乏学校で、そんな金払うわけないって踏んでたらしい。
クリスは、毎週月曜の1限には必ず来て、授業をチェックしていた。
ボクは、勿論顔は知っていたし、挨拶くらいはしていたけど、
ただそれだけの関係で、それ以上でも、それ以下でもなかった。
1期生の卒業式が終わって、その後に開催されたパーティーの時、
クリスがボクのところにやってきた。
「Sasagawa-san you are lucky!」と言うので、
「???」って思っていると、
あなたの英語の先生を捜すように、GMから依頼を受けていたが、
よく考えた結果、素晴らしい先生が見つかった!と彼は英語で言った!
ボクは、なんとか意味が理解出来た・・・
その後「それは、私だ!」と又もや英語で言ってのけた!
『うっそぉー!オマエが教えんの・・ゲッ!』と正直思った。
しかし、何をどう言ったらいいのかさえ浮かばなかった。
そして、4月から鬼のような英語のレッスンは開始された。
毎週3回、1回1時間半。テキストの一つは、デイリーヨミウリなどの
英字新聞をまとめたテキストであった。
主にビジネス用語やビジネス英語を徹底的にやらされた。
もう一つは、日常会話で、こっちは即効性も有り、まあまあ楽しかったが・・・
宿題がまた凄かった。
1回分の宿題に軽く3時間や4時間はついやしても終わらない。
ボクのメインは、英語のレッスンでは無く、あくまでも自分の授業である。
1日4パーツの授業が有り、1パーツ90分。
週に全体で20パーツ有る内、ボクの担当は10パーツあったのである。
2年目とはいえ、カリキュラムの調整のし直しや、資料作り、
色々有る中で週3回の英語のレッスンと、あの膨大の宿題は本当にきつかった。
今だったら多分出来ないと思う。
クリスは意外といい奴で、週末のホームパーティーによく招待してくれた。
集まってくるのは、ほとんどがアメリカ人やカナダ人、
みんな日本語はうまくないけど、英語はうまい!当り前である。
最初のころは、そのパーティーに行ってもうまくコミュニケーションを
取ることも出来ず、あまり楽しめなかった!
ところが、ところがである。
人間とは不思議なもので、結構会話が出来るようになってきたのだ!
発音さえしっかり覚えておけば、なんとかなるな!と、その時強く感じた。
金沢の繁華街“片町”にも、本当によく二人で出掛けた。
クリスは意外にすけべで、可愛い子がいると、
「何を飲んでいるのですか?」
なんてきれいな日本語で聞くのである。
そういった限られた質問は、練習したのか、本当に上手だった。
あんまり上手なので、その子は、クリスが日本語話せるのかと勘違いし、
バンバン日本で話しをしてくると
「Sasagawa-san please translate!」と言うのである。
ボクはなるべく彼が、意味を取り間違えないように注意しながら、
精一杯の自分のボキャブラリーを駆使して説明した。
彼は、そんなボクの説明でなんとか分かってくれていたようだ!
今考えてみると、この夜の、片町のイングリッシュレッスンが
一番勉強になったような気がする。生きた英会話ってやつかな。