ホテル西洋銀座、ホテルエドモント、
ホテル西洋銀座がクローズして、早10年とのこと、、
当時、セゾンに在籍していた私にとって、非常に身近なホテルであり、接点も多かった。
当時、ホテル西洋・シェフソムリエであった田崎さんとも色々とお世話になる機会をいただいた。田崎氏は、私と同い年で、恐れ多いが親近感が増したものであった。
金沢時代には、田崎さんにわざわざお越しいただき、ホテルスクールで特別授業をしていただいたこともある。
ホテル西洋銀座の初代GMは、N井さんという方だっと記憶している。私は面識も無いし、情報は同僚や業界紙で得たものだけである。
このN井氏、NYの著名ホテルでの経歴を買われてハンティングされたようである。しかし、いくら東京銀座とはいえ、NYのスタイルをそのまま持ち込んだのは、どうも上手く行かなかったようで、、、
とにかくゲストにハグをしていたそうであるが、、、
どうも、不味い展開に陥ったみたいである。
まあ、それだけでは無いと思うが、、
N井氏が、ホテル西洋から去ったのは、オープンから半年も経っていなかったのではないか、、、
もうちょっと長かったかな、、、
いずれにしても、早かったのを記憶している。
そこで、セゾンは次の支配人に重田氏を招へいしたわけである。
重田さんは、プリンスホテル出身で、国内のプリンスのGMの他、
当時韓国にも出店したプリンスホテルのGMも務めた方である。
ホテルエドモントは、プリンスとは別ラインであり、堤清二氏が自身の思いを持って作ったホテルともいえる。
プリンスは、弟の義明氏が継承している。
エドモントの料理長には、日本人で初めてミシュランの星を獲得した中村氏を、堤清二氏がフランスから呼び寄せることになった。
そのホテルエドモントに、重田氏はGMとして招聘される。
ホテル西洋銀座に着任する前の話である。
堤清二氏の弟である堤 猶二氏(スカンジナビア航空のサービス戦力はなぜ成功したか【真実の瞬間】を訳した方で有名である)。
彼も、ずっと義明氏のプリンスで仕事をしてきたのであるが、清二氏に声を掛けられたのか、、
プリンスから離れ、エドモント開業に力を注ぐことになったようである。
その猶二氏から招聘されたと聞いている。
私はホテルエドモントの立ち上げから入ったので、重田さんには大変お世話になった。
その後、セゾンが金沢の「金沢国際ホテル」にSeiyo Continental Hotel School KANAZAWAを開校し私は、FB部門の講師を務めることになった。
えっ!何で急にホテルスクールの講師!?なんて、文句を言っている暇もないくらいで、開校に間に合わせるのに精いっぱいであった。
当時、ホテル西洋のGMを務めていた重田さんは、何度も金沢に来ていただき、リードレクチャーをしていただいた。
夜は、毎回「香林寿司」というお寿司屋さんで美味しいお寿司を食べたのも懐かしい思い出である。
重田さんは現在95歳、お元気である。
来年は、ホテルエドモント開業40周年のOB会が大々的に開催されるそうである。
久しぶりに重田さんとお会いして、色々お話しするのが、今から楽しみである。