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パンアメリカン航空

パンナムは1927年に設立され、航空業界の先駆者として君臨した。1958年には米国初の旅客ジェット機を導入し、文化的なアイコンとしても知られるようになった。しかし、1970年代には高コストと航空自由化の影響で経営危機に直面し、1991年に消滅してしまう。パンナムの繁栄と衰退は航空業界の変化を象徴するストーリーであり、「世界のフラッグキャリア」としての栄光は歴史に深く刻まれている。



パンナムは、第2次大戦後に日本の民間旅客市場の立ち上げに貢献したことで、日本からアジア各地へ向かう路線に無制限の発着枠、いわゆる「以遠権」を与えられていた。この権益を生かし、日本からニューヨークやホノルル、ロサンゼルスといったアメリカの主要都市だけでなく、香港やバンコクなどアジア各地にも多くの路線を展開していた。



 1950年代から1960年代にかけて、日本は急激な経済成長を遂げ、パンナムにとっても最重要市場のひとつとなった。その具体的な取り組みは次のように現れている。

・東京とニューヨークを直行できるジャンボ・B747SPを開発し、1976年に就航した。
・東京(羽田空港、後に成田空港)にはアジア路線専用のB727が常駐した。
・当時運行されていた世界一周便も東京に寄港した。



 また、日本では独自の広報戦略を採用し、特にコンテンツ戦略に力を入れていた。世界各地の支店から海外事情を伝える「兼高かおる世界の旅」はTBSで長年放映され、「若大将」シリーズや「社長」シリーズなど人気映画でも海外に関する作品に頻繁にパンナムが協賛していた。これらのコンテンツ戦略は、

「海外旅行が身近ではなかった日本人」

に外国への憧れを抱かせるのに大きく貢献した。

 特に有名なのが、大相撲の幕内最高優勝力士に贈られる「パンアメリカン航空賞」である。この賞は1953(昭和28)年に登場し、途中から極東地域広報担当支配人のデビッド・ジョーンズ氏自らが贈呈するようになった。和服を着たジョーンズ氏が小柄な体でよろめきながら大きなトロフィーを持ち、片言の日本語で

「ヒョー・ショー・ジョー!」

と叫んで渡す姿は、昭和の大相撲の風物詩として親しまれていた。テレビ中継でも「おなじみの光景」として呼ばれ、ジョーンズ氏の表彰授与は20年以上も続き、パンナムの知名度向上に大きな成果を上げた。

 こうしたブランド戦略の結果、多くの日本人が利用するようになり、日本路線は同社にとって屈指のドル箱路線へと成長した。

国際線ではリーダー的存在であったパンナムだが、「利益率」は国内線で強い

・デルタ航空
・ユナイテッド航空
・アメリカン航空

に比べてはるかに低く、上位10位にも入らなかった。国際線は単価が高いものの、景気による変動が大きく、売り上げは安定しなかった。また、B747の大量導入により固定費が高く、人件費も業界最高水準で、高コスト体質の企業だった。

 このような高コスト体質のまま、オイルショックによる燃料費の高騰や航空自由化による業績悪化に苦しむことになった。しかし、航空自由化によって以前は進出できなかった高収益の国内線市場に参入できるようになったため、状況を打開する切り札を手に入れたともいえる。

 パンナムは1980年に、マイアミを拠点とするナショナル航空を買収し、国内線への本格的な参入を目指した。しかし、ナショナル航空の買収は衰退の始まりとなった。この合併の際、パンナムは拡大を急ぐあまり、ナショナル航空の人件費を自社並みの高さに引き上げてしまった。

 また、B707やB747の開発に深く関わったパンナムは、ボーイング社中心の機材構成だったが、ナショナル航空はダグラス製の機材を主に使用していた。そのため、部品やパイロットの共有ができず、整備費がかさんでしまった。

 さらに、マイアミを拠点とするナショナル航空では全米各地への路線網拡大が難しく、特に米国中部に拠点を築くことができなかった。その結果、パンナムはナショナル航空の買収によって国内線ネットワークを劇的に拡大することができず、コストが増加して利益を圧迫するだけの結果になってしまった。

 以上本文より抜粋

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【ササピー】

私が初めて海外へ出掛けたのが、
1981年のNYへの旅であった。
43年も経ったことなる。

当時、日本からNYへの直行便は、パンナムのみで、上記によればこの路線が就航したのが1976年とのことなので、路線開通からさほど日が経っていない頃だったみたいである。

また成田空港も1978年に開業したばかりの時代でもあった。
勤務していたフェヤーモントホテルから、成田空港行きのバスが出ていたので、それを利用したがえらく遠いなと思ったのを思いだす。

パンナムは、世界一の海外への路線を飛んでいたが、国内線はほとんど路線を持たず、
利益率を向上出来ずにいた。

そこで、ナショナル航空というアメリカの国内線を多く保有する航空会社を買収し、一気に国内を制覇したかったのであるが、
ナショナル航空が使用していた飛行機と、パンナムの機材との違いで、パイロットの調整や、整備の問題がコスト増につながった。

また、高い人件費でのナショナル航空との契約が、かえって経営を苦しめる結果につながり、結果的に倒産してしまう。

これ、JALと一緒である。
JALは、国内線でANAに遅れをとっていたので
それを巻き返す目的でJASを買収した。

しかし、パンナムと同じ問題で苦労し、JALも倒産の道を進んだ。

今でも、パンナムの機体や、プロードウェイのパンナムビルなど、私の脳裏にしっかり焼きついている。
青春の思い出の中に、、




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