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永さんとイタリア軒

数年前のこと、連れ合いが永六輔さんのラジオを聴いていました。

なぜ永さんは新潟のホテルでは、イタリア軒に泊まるのか、その理由が

心温まるお話でした。

こんど新潟市に行くときは、ホテルイタリア軒に泊まりましょうよ、と言う。

永さんの話された内容です、(一部省略してます)。


「十数年前新潟へ行き、イタリア軒というホテルに泊まった。

外で食事をしたかったので、このあたりに美味しいお蕎麦屋さんはありませんか?

、とドアボーイに聞いた、万代橋を超えたところに、美味しいお店があると

いうので、出かけて食事をした、美味しかった。

食事を終えて外を見たら、あいにく雨が降っていた。


困ったなあと思っていたら、気が付くと、ホテルのドアボーイさんが、傘を持って

お店の入り口に立って、傘を差し出してくれた。

このボーイさんの、お客さんを思う心に感激した。以来私は新潟へ行くと、イタリ

ア軒以外のホテルには泊まらないのです、、


・後日談があります。「その後もイタリア軒に泊まっていたが、あのボーイさん

の姿が見えなかった、が十年位たったとき、玄関で背広すがたで、私を迎えてくれた方が、どうもあのときのボーイさんに良く似ている、聞いたらその人で、今は総支配人になられていました、御礼を

改めて申し上げた、岡澤さんとおっしゃる方」


岡澤さんはそのときの私が出した、お礼のはがきを今でもお持ちになっていて、

その言葉を大切に、努力されてここまでの地位を得られたそうです」以上が

ラジオでの永さんのお話でした。


それを聞いて我々夫婦も感動しました。

その後新潟市近郊の友人に会うために、新潟市に行くことがあったので、

このお話を簡単に書いて、総支配人の岡澤さんに 出した。

ご丁寧なご返事がきました、実は永さんの思い違いで総支配人でなくて、

副総支配人の岡澤さんだそうでした。

お待ちしております、とのご返事。


新幹線で出かけました。

イタリア軒、120年前に新潟に来たイタリア人が市内で 初めて、

イタリアレストランを開店、その後ホテルを開業したが、ホテル名をそのまま、

「ホテルイタリア軒」としているのだそうでした。


はっきり言って、時代を感じさせる建物、室内も落ち着いて家具も使い込んだ

ものでしたが、基本の清潔、従業員の態度物腰の落ち着き、親切さ、はどんな

ホテルにも劣らない、気持ちよい滞在でした。


岡澤さんにお会いました。

永さんとのエピソードをお聞きしました。

永さんのはがきも見せて頂きました。

大部年月がたって黄ばんだような葉書

「気持のよいサービスを、ありがとう 佐渡にて、 永六輔」とありました。

また、再会後の葉書もありました

「あの時のドアボーイさん! 改めてありがとう、永六輔」

と書いてありました。

お客様の立場になった行為、おもいやり、誰でも出来ないかも

しれない、岡澤さんのお人柄か、、、


長々と書いたけど、私達夫婦はあらためて、サービスとは何かが

分かったような気持になりました。

そして岡澤さんのような暖かい心を持った、従業員がいる、またご自身の

絶え間ないご努力で、ホテルの指導者になられた人柄。

そしてその人を育てたイタリア軒の社風に、感動しました。


道を隔てた和食レストランで、日本海の海の幸を美味しく頂き、何年ぶりかで

友人と会って長話をして、次の日は市内や港を散策し、ほのぼのとした気持で、

帰ってきたのをいまも思い出します。

***

これは私が師匠と仰ぐ重田さんという方が書かれたものです。

重田さんは私がホテルエドモント時代のGMで、大変お世話になりました。

エドモントの後、ホテル西洋のGMになられました。

私はエドモントから転勤で、金沢、広島、横浜、札幌、九州と

転々としましたが、都度重田さんは足を運んでくれました。

今はリタイヤされましたが、父親のように見守ってくれているのが

とても嬉しいのです。

そして、このイタリア軒はなんと私がホテルマンとしてスタートした

ホテルなのです。

いろんな縁や、何を大切にしていかなくてはならないのかを

考えさせられます。

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ササピー
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