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金沢國際ホテル Vol.2

■金沢ホテルスクール

私は新潟生まれであるが、東京での生活で、すっかり雪には無縁の暮らしをしていた。

金沢に着任した年は、凄い雪で一晩で80センチなんてレベルの雪が続いた。
マンションの前の通りは、大きな通りだったが、
除雪が間に合わず、車の通行も、人が歩くのさえも難しい状況となった。

厳しいスタートになったわけだが、ある時GMから呼ばれて、
「今度、ホテル内にホテルスクールを開校することになったんだよ!それでお前さん、インストラクターをやってくれ!」

この人、何言ってんだ?
と思ったが、そのままの意味であり、
おいおい!ちょっと!
という感じであった。

結局、開校はしたが、カリキュラムの詳細は当然のように間に合わず、毎日、翌日の資料を作りながら授業をしている始末!
完全な自転車操業であった。
毎日、ドキドキものであった。

ホテルスクールのカリキュラムは、大きく3つに分かれていた。
先ず専門分野(宿泊か料飲の2コースあった)、そして語学、リベラルアーツ。
中でもリベラルアーツは、非常に多岐に渡った内容で、法律、旅行、お茶、お花、ビジネス文書、陶芸、テーブルコーディネートなどなど・・・
時間が有れば、ボクも一緒に受講したいような内容ばかりであった。
しかし、1年目は全くそんな余裕は無く、自分が授業を担当していないときは、ただひたすら、自分の授業の準備で必死であった。

宴会の授業で披露宴の音楽というパーツを作り、I氏に金沢に来てもらった。
ホテルの社員も含めて、模擬披露宴を実施し、臨場感を味わってもらったのだ。

そしてその素晴らしさに魅せらた
受講した金沢のスタッフが、痛く感動し、自身の結婚式に彼を東京から来て欲しい!
と、私に頼んで来た。
それが一度では無く、確か3回くらいあったのだ。

そんな金沢時代、ボクは外部の仕事にも多く携わっていた。

これはボクの恩師の葛田先生からいただいた話がほとんどである。沖縄に新しくオープンするホテル・ロワジールの教育も担当していた為、当時沖縄にはかなりの回数足を運んだ。
そのロワジールの結婚式のシュミレーションにもI氏に来てもらった。
ボクがMCとキャプテン役を実演しながらの模擬披露宴は、とても楽しく、インパクトがあったことと思う。

金沢から広島に転勤になってからも、仕事で広島にも3回ほど来てもらい、「笹川さんのお陰で、全国で演奏できてうれしい!」と彼も満足そうであった。

金沢時代に、I氏と一緒にハワイに行ったこともあった。

ボクは、ハワイは初めてであったが、なんとI氏は10回目位、
場所の案内は井澤氏で、英語が必要な場合はボクが活躍するという、過去に行った海外旅行の中で、一番楽しい旅行となった。

さて、ホテルスクールであるが…
2年目からは楽になるはずだった。

何故ならば、なんとか1年間教えてきたので、多少膨らます必要は有っても、一から作る必要は無いからである。

しかし、そうは問屋が卸さなかった。
ある時GMに呼ばれ
「笹川、あんた英語はどのくらい喋れたっけ?」と聞かれ
「イヤー、全然に近いくらいダメですね!」と言うと
「まぁいいや、それは努力してもらうとして・・」
「???」
「イヤ、実はね、シドニーのインターコンチネンタルのホテルスクールに行って、1年か2年、じっくり向こうのシステムを勉強してきてもらおうと思うんだよ!」
「???」
「それでだ!英語が分からないのに、行っても英語の練習して帰ってきてもらっても困るんで、1年で少なくてもTOEIC 500点位のレベルまでになって欲しい!」
と言われた。

シドニーの話しもよく理解出来なかったが、TOEICの500点というのは、もっと理解出来なかった。

「とりあえず、クリスに誰か、あなたの英語の先生を見つけるよう頼んでおくわ!」
で一旦話しは終わった。

 ※この物語はノンフィクションです。

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ササピー
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