MSW1年目の思い出 事務長との闘いの日々

医療ソーシャルワーカーを志し、大学の先輩の親が事務長の民間病院へ就職した。

病院に勤めてみると、白衣を着ている人が多かった。
医師と看護師だけの世界と思っていたが、民間病院では医師は少なく、看護師が最も多い。それ以外にも様々な資格の医療者が働いていた。

今の社会福祉士養成課程では、これらの複数の医療専門職や介護職などの解説はあるが、当時は医学一般という講義しかなかった。

勤務した病院には、レジェンドと言われた医療ソーシャルワーカーがいた。県の社会福祉士会、介護支援専門員会、医療ソーシャルワーカー協会のいずれも初代の会長をしていた人物である。

医療ソーシャルワーカーの仕事もできるということであったが、ほとんどが医療事務の仕事となっていた。

話が違うと事務長に言ったら、「産休で辞めない医療事務を雇いたかった。MSWは、すでにいるので、空きはない。」と言われた。

レジェンドの医療ソーシャルワーカーが、風邪をこじらせ1週間休んだ。患者や行政から、いろいろな問い合わせ滞り、現場が混乱した。

復帰後、レジェンドの医療ソーシャルワーカーが、理事長に対して、「そろそろ後継者を育てないと、自分に何かあった時に大変になる。」というようになった。

ようやく、医療ソーシャルワーカーの仕事を学ぶ機会を得るようになった。

しかし、事務長から「医事課は外さない。やりたければ、自分で時間を作って勝手にやるように。ただし、医事課の業務に穴をあけてはいけない」

何度も言われた。

不思議と心が病むことがなかった。
憧れの医療ソーシャルワーカーの仕事をできる嬉しさが増していた。

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