MSW3年目の思い出(終の棲家)
急性期の半分を、療養病床、介護療養型医療施設に移行した。
親くらいの年齢の人たちが、他の急性期から「早く退院しろ」と迫られて相談に来る。
皆、ヘトヘトだった。
なぜか、他の病院の療養病床に入院しているのに、相談に来る家族も多かった。
不思議に思った。
同じような療養病床がある病院をまわった。
どこでも言われたのが「療養病床は180日で次へ転院」。
いろいろな院長に180日問題を聞いた。
「急性期を空けるため」であった。
いろいろな事務長に180日問題を聞いた。
「周りの病院がそうだから」であった。
現在はいろいろなしばりがあるが、
当時の診療報酬では180日転院のルールはなかった。
病院の経営幹部が、診療報酬に詳しくない場合が多いことを知った。
診療報酬を何度も見直し、医事課長とも話し合い、
180日以内の転院に根拠がないことを幹部会で説明した。
外科系院長に掛け合い、180日以内に次を探さなくても、
療養病床は自然に空きが発生している。そのため、急性期病棟が逼迫することがないことを数字で伝えた。
終の棲家が完成した。
転院相談に来る家族に伝えた。
「私たちの病院から、他の病院への転院は、特にありません。ご家族でご検討いただき、ご納得いただければ、後日、入所の希望を教えてください」と伝えた。
ほとんどの家族は、「希望します」と言ってくれた。
周りの病院から、「あそこは、患者が亡くなる病院」と揶揄されるようになった。