MSW4年目の思い出(黒字化と肩たたき)
就職当時、夫婦で働いていた医師が開業した。
外来・入院が激減し、月300万円以上の赤字を計上していた。
療養・介護病棟はほぼ100%の病床利用率となった。
この年から1000万円/月の黒字へと転じた。
介護報酬の改定で、介護度の単価が大きく変わり、
経営側は介護度4,5の入所を指示したが、
スタッフの負担が大きくなり、
離職に拍車がかかった。
看護師や介護士ともよく話すようになった。
介護度3~5のバランスを、スタッフをよく相談して、
決めることにした。
離職は少なくなった。
院長が病院機能評価受審を決めた。
民間病院ではほとんど取得していない時代であった。
人事が発表され、地域医療連携室専属の医療ソーシャルワーカーになった。
ようやく医事課との兼務から解放された。
師匠とも気兼ねなく、仕事ができるようになった。
急性期のベッドコントロールも担当するようになった。
病床利用率は50%から80%に向上した。
銀行から10億円以上の融資を取り付けた。
病院の改修や有料老人ホームの新設が始まった。
メインバンクが変更され、事務長が変わった。
県内の事務長は、融資先の銀行員の天下りが占めていた。
その事務長さん相手に、経営の講義をするようになった。
仕事への充実感で満たされるようになった。
師匠から「そろそろもっといい職場を目指しなさい。」と、
なるべく早く辞めるように言われるようになった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?