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「ルワンダ中央銀行総裁日記」を読んで。
本書は、IMFの技術支援の一環として1965年から1971年までルワンダに中央銀行総裁として派遣された故服部正也による記録である。
1972年に出版されて以来、本書に対する数多くの書評が書かれてきたので、敢えて内容を要約する事はしないが、幾つか心に響いたことをここに書き留める。
著者はただ者ではない。
著者は英語とフランス語に堪能であり、ベルギーから独立して間もない当時のルワンダにおいてもフランス語で中央銀行総裁として勤務していた。
中央銀行総裁として通貨改革を成功させるに留まらず、当時の大統領にルワンダ経済の再建計画を一任され、税制改革、財政改革、産業育成を次々と行い、その後のルワンダ経済の急成長の礎を築いた。
また、ルワンダ国内の知識と情報交換を活発化させるための社会インフラとしての公共交通の重要性に着目し、首都と全国を繋ぐバスのネットワークを確立させた。
自分の専門外の文野においても、専門家をしのぐ慧眼をもって状況を見極め解決策を示していく過程の裏では、並々ならぬ努力があったのだろうと思われる。コンピューターもインターネットも存在しない時代にどのようにして情報を入手し分析していたのか、全く想像もつかない。
国際援助に潜む矛盾をいち早く指摘していた。
日本において国際援助と言えば、「貧困に苦しむ人々に助けを差し伸べる善意の行い」という印象が強いと思う。一方海外では、国際援助の非効率さや矛盾を指摘する声が2000年代からより存在感を増すようになり、国連やIMF、世界銀行等への社会的批判が高まって久しい。
これよりも30年近く前に出版されたルワンダ中央銀行総裁日記において、著者は既に国際援助に潜む矛盾や限界を鋭く指摘している。例えば、海外から派遣された専門家の独善性や、ルワンダの国内事情を積極的に学ぼうとしない傲慢さを著者は厳しく批判した。
日本人として初の世界銀行副総裁になっていた。
当初半年の予定でルワンダに赴任した著者は、大統領から度々慰留された結果、中央銀行総裁を6年間務めた。その後、日銀を経て1972年に世界銀行に入行し、1980年には日本人として初めて副総裁に就任した。
私は一介の職員であっただけだが、著者は私が10年間務めた世界銀行での大先輩でもあったのだと思うと、非常に感慨深い。
私も世界銀行の職員としていわゆる開発途上国に勤務した経験がある。大学院で博士号を取って世銀の本部で5年の経験を積み、同じ時期に世銀に入った同僚たちよりも早く出世して赴いた赴任先では、自分の力の無さを思い知らされる毎日だった。大学院で学んだ知識や本部での経験が全く役に立たなかった現場での経験に照らすと、いかに著者がとてつもなく優秀であったのかが分かる。
服部正也には「ルワンダ中央銀行総裁日記」の他に、「援助する国 される国」といいう著書がある。これも是非読んでみようと思った。