ジグモの巣
庭でジグモの巣をみつけた。
ジグモの巣を見ると、なんだか嬉しくなってしまう。
小学校低学年の頃、学校からの帰り道、ジグモの巣をみつけると抜いていた。
スルッと抜けるのが面白くて、道すがら塀の下の方ばかり見て、ジグモの巣はないかと探していた。
友達と2人で…3人で?
誰と一緒にジグモの巣を抜いていたっけ?
「いつも◯◯ちゃんと」
ではなかった気がする。
2人だったり3人だったり、もっといた日もあったかもしれない。
同じ方向へ帰る子と、自然に一緒に帰っていた感じだっただろうか。
小学生でも年齢が一桁の頃は、帰り道にもいろんな発見があり、誰かが何かみつければみんな興味を持ってワイワイ寄ってくる、みたいな感じで楽しかった記憶がある。
そのときの楽しかった気持ちを思い出すから、嬉しくなるのだろう。
今思うとジグモにはわるいことをしたとは思うが。
自分の住んでいる家が突然根こそぎ持ち上げられる、ってことだよね。
…想像してみた。
大惨事じゃないか。
おぉ、怖い。
まあ、ジグモはすぐに巣を作り直せるだろうけど。
人って大変だな、と思う。
大きさ?
いや、それ以外にも。
私は自分で家を作れない。
自然の生き物はすごいなぁ。
クモは自分の中から巣の材料が出る。
なんてすごいこと!
自分の中から材料が出ない生き物も、自然にあるものを集めてきて巣を作ったりする。
あ、人工物も集めるね。
カラスがワイヤーハンガーを巣に使ったり。
自分で巣を作って。
死んだら自然に還って。
私は家を作れないし、死んでもそこらに転がって自然に還るのを待っている訳にはいかない。
どちらにも多くの人が関わることになる。
普段の暮らし全て、その向こうにいろんな人が関わっている。
見えないけど関わっているみなさんに感謝。
ジグモの巣から、こんなところまで思考が飛んでしまった。
とにかく、日々感謝を忘れず生きようと思う。