いいママってどこにいるんだろう ー『ママはきみを殺したかもしれない』感想ー
樋口美沙緒『ママはきみを殺したかもしれない』読了。知らない方向けに簡単に紹介すると、樋口先生は商業BLで名作を数々生み出している有名な先生。わたしも遅ればせながらムシシリーズに昨年どハマりして既刊を一気に読みました。その樋口先生の初となる一般書が本作となる。
あらすじは以下の通り。
『いいママ』になりたがる美汐を見ていても、その言動に目新しさは感じなかった。つまり、わたしも彼女の思考を容易になぞれてしまったということだ。
子どもの平均からずれた発達に焦りを覚えること。まるで人が変わったように瞬時に子どもに怒り狂ってしまうこと。そしてまた瞬時にその怒りに対して後悔して涙すること。全部わたし自身が子育てをする中で経験してきたことだった。
わが子が関わるだけで簡単にわたしは自分を見失う。だから美汐がちょっと危なそうな道を歩みそうになった時、「ヤバそうな感じするじゃん、なんでそっちに行こうとするの」という否定的な気持ちより、「こうやって切羽詰まった人間は何かにすがろうとするんだな」という納得感でいっぱいだった。
『いいママ』ってどこにいるんだろう、少なくともわたしはそれではない。わたしに子育ては向いていない。なんで子どもを産んでしまったのだろう。かつてのわたしはそう思いながら母親をやっていた。でもわたしは既に『いいママ』は社会が生み出した幻想であること、それを誰もわたしには求めていないことを知っている。
フルタイムで仕事してる。料理は苦手だからとりあえず白米におかずが何かあればいいやと思ってる。子どもにイラっとしたら喧嘩してやり合う。妊娠も出産ももうしたくない。きっとこれは『いいママ』じゃない。ならばその対岸にいるであろう『悪いママ』だ。
だからなんだというんだろう。聖母像なんて蹴飛ばしていく所存だ。
最後にひとつ余談を。良い・悪いママについて煩悶している人には、オルナ・ドーナト著・鹿田昌美訳 『母親になって後悔してる』を読むことをおすすめしたい。文体はやや読みづらいが、何かしら救われる言葉に出会えると思う。