アラフォー徒然草:コップに水が半分しかないのか、半分もあるのか、見方を変える前に。
よく聞くたとえ話。コップに半分まで水が入っている。それを半分も入っていると思うのか、半分しか入っていないと思うのか。それはその人の考え方次第だと。で、考え方次第なら「半分も入っている」と考えようというのが、この話の意図かなと思う。
確かにそうなのだけど、言うは易く、行うは難しなのよなと思う。
その考え方は多分に自分が置かれる環境に影響を受けると思う。例えば、無人島にいて、助けの船が来ない。残されたのは半分水の入ったコップ。そんな時に「半分もある」とは中々思えないのではないだろうか。
身近な話に寄せてみれば、仕事で失敗続きの時に、これでまた成功に一歩近づいた、よかった!なんて思いにくい。そういう状況の中無理に考え方を変えようとすると、それができない自分を責めることにもなってしまう。
じゃあどうせいっちゅうねんという話だけど、まずは、コップには半分水が入っているのよねというのを落ち着いて確認するのがいいのかなあと思ったりしている。コップを上から眺めても、下から眺めても、どれくらい入っているかは正確には見えにくい。(楽観的、悲観的と言い換えてもいいかもしれない。)まずは目線をコップと水平にして、確認する。満杯でもないけど、空っぽじゃなくて、半分くらいは入っていると。
空っぽじゃないよなと確認する。全く何もないわけではない。うまく進んでいないなりに、できているところもある。落ち着いて、いろんな人の目を想像して眺めてみる。もっと言えば、話せる人に聞いてみる。今の自分には、水が半分入っていると思えるけど、あなたにはどう見える?とか聞いてみる。
半分入っていると思ってたけど、実は空っぽじゃんという事もあるかもしれない。それに気づけたなら、それはそれで一歩前進なのかなと思う。気づいても、気づかなくても、実際の水の量は変わらないのだから、気づけただけ、正しい判断に近づいているのではと思う。
その上で、自分にとって、半分しかなのか、半分もなのかは決めたらいいのではと思う。必ずしも半分しかと思うことが悪いことでもない。半分しかないから、もっと水を入れたいと思うかもしれない。今の自分は、半分もと考えてあげることで、安心して次に向かえるのかもしれない。
コップを変えたっていいのではと思う。変に大きなコップに水を入れるから、半分しかないと思うのかもしれない。自分に合った大きさのコップに変えたら、満杯にすることもできる可能性がある。
コップに水が半分もあるのか、半分しかないのか、無条件に、何も考えず、ただ見方を変えるんじゃなくて、フラットな目線でコップを眺められるようにしたい。これは多分に自分への自戒をこめて書いておきたい。