今年のテーマの一つ「完璧なんかクソ食らえ」について、考えてみた
今年は例年になく、新年早々いろいろな「新しいこと」にチャレンジしている。
自分でも思う。
「うん、今年は今までの自分と何かが明らかに違う」と。
それはこれまでにないとても清々しい感じ。
どうしてこれまで以上に、なかなか素敵な気分で新年をスタートできているんだろう。
今までと何が違うのかな。
例のごとく、自分に問いかけてみたところ、意外とあっさりと答えがわかった。
「これをやろう!と思っていたことを、サクッと実行できている自分」
そんな自分を見て、自分が一番嬉しいのだ。
なぜ嬉しいのかというと、ズバリ、これまで意外とそうではなかったから。
というのも、これをやってみたいな、というものを先延ばしにしまくり、中には数年単位で先延ばしをしていたものもある。
まさにこの「note」もその一つである。
一度だけ記事を書いてみたものの、それから先になかなか進めず、数年が経っていた。
note、書きたいな、と思う反面、実行することができなかった。
新しいことにチャレンジすると気持ちは決めていても、実際に行動を起こすのには勇気が必要。
この勇気って何なんだ?何で世の中には躊躇せず新しいことをしまくっている人がいるんだ??
そして、その方々とワタシの違いは何なんだ???
今回はその問題点を逃げずに熟考しまくってみた。
その結果、勇気が必要になる理由は「失敗したくない」から、という答えに達した。
さらに自分の中を掘り下げてみると、その失敗には二つの種類があった。
一つは「失敗した、あまりうまくいかなかった」という自分を自分が見たくないということ。
もう一つは「他人から失敗したと思われたくない」ということ。
そしてこれら二つの要素をさらにさらに紐解いていくと、それはそもそも人間が持つ、大きな要素の一つであることがわかった。
まず一つ目の「失敗した自分」だが、人間の持つ本質として、成功した自分よりも失敗した自分を作りたがる傾向があるという。
確か以前に読んだ「スタンフォードの自分を変える教室」の中でも
やるべきことがあるのに、やる気がしない状態。このような内なる葛藤はある意味脅威といえます。あなたの本能が悪い結果を招くような決断をあなたにさせようとしているからです。そのためあなたは、自分の身を自分自身から守らなければなりません。(2012年 大和書房 ケリー・マクゴニガル 『スタンフォードの自分を変える教室』68Pより引用)
そんなことが書いてあった。
あなたの本能が悪い結果を招くような決断をあなたにさせようとしているから
恐ろしい。本能ってやつは怖いもんだ。
ということは、自分の怠惰な点もあるのは当然だけど、そもそも人間の本能的にそういう部分も持っているということなんだ、と客観的にみることができた。
そして、もう一つの「他人から失敗したと思われたくない」という点もじつは同じ。
そもそもの人間の持つ強い本能として「他人から認められたい、受け入れられたい」という承認欲求が無意識の中にある、ということも冷静に受け入れることができた。
本能、それも含めて自分
そう考えたとき
「完璧になろうとする自分をやめよう」と決めた。
「完璧なんかクソ食らえだ!」と。
これまで「完璧になりたいけど完璧になれない」自分をどこかで責め続けていた。
そのように無意識にずっと繰り返している思考のパターンから、卒業することに決めたのだ。
だから一日の予定を立てるときも「今日やるべきリスト」ではなく、「今日やりたいリスト」に書き直した。
そして「できなくてもいい、やりたいことだから。絶対ではないのだ」とコメントを大きく書いて、その下に今日のTODOリストを書きまくった。
その結果、どういうわけか、やりたくなるのだ。
なぜかこなしたくなる。
そして、できなかったことも決して責めずに、後悔せずに、ぐっすり寝て、また次の日にトライしたら、わりとできるのだ。
自分の人生の裁判官は自分。
必要のない判決でダメ出しをして、自分を責め後悔するより、自分を受け入れながら、許しながら生きる方がよっぽど効率がいいんだな、と確信したワタクシであった。
おしまい