毒親サバイバーの人生振り返り 3
私が生まれる前のことはよく知らない。1つだけ、聞いて知っているのは、父がある日久しぶりに家に帰ると、母が当時1歳だった兄に空き缶を投げ続けていて、兄が大泣きしていたこと。父は母を押し除けて、兄を連れ出して実家に戻ったらしい。しかし、母に言わせれば、その時は父と口論になって父に殴られ、頭を打って気絶し、気づいたら1人だった、らしい。正直どっちが本当はわからないけど、母が兄に空き缶を投げつけていた、というのは、本当だと思う。
兄が2歳の頃、母は妊娠し、兄を育てるのが大変だったので、兄1人を祖父母の家に預けるようになった(相当、兄といるのが嫌だったんだと思う)。一度祖父母に縁を切られた母だったが、息子のいない祖父にとっては、初めての男の子が可愛くて仕方なかったようで、この頃には母と縁を戻し、兄を可愛がっていた。
兄が3歳の時に私は生まれた。母にとって待望の女の子だったので、母にとっては相当嬉しかったろう。待ちに待った女の子だったから可愛くて、着せ替え人形みたいに、服を着せたり髪型を変えたりするのが楽しかった、と母は私に言った。
私が赤ちゃんの間に私たちは祖父母の家にうつった。祖父母の家に私、兄、母が居候する形。祖父母は働いていてほとんど日中家にいなかった。母はたまにパートを転々としてはいたが、働いていない時期も多く、家にいることが多かったように思う。兄はめちゃくちゃ赤ちゃんの頃から保育園に通っていたので(母は相当、兄といるのが嫌だったんだと思う)、あんまり家にいなかったはず。一方の私は半年くらいしか保育園に行かなかった(母が、相当私を近くに置いておきたかったんだと思う)し、ものすごい田舎で、近所に一緒に遊べる子どもなどいなかったので、ほとんどの時間を家でひとりで(もしくは兄と)遊んで過ごした。
精神的に不安定だった母は、よく怒り、怒ると手をあげた。特に、兄へのあたりが強く、気がつけば母はいつも兄に怒鳴っていて、兄だけが理不尽に怒られることは日常茶飯事だった。
私が鮮明に覚えているので特に怖かったのは、確か私が4歳か5歳くらいの頃のこと。兄はいつものように母に怒鳴られていた。そして母は熱湯が入ったやかんを手に持って兄を追いかけ始めた。兄は大声で泣き、テーブルの周りを走って逃げようとした。母は私に、「危ないからどいてろ」と言って、しばらく兄を追いかけ回した。
その後どうやってことが収まったのか覚えていないが、兄は熱湯をあびることなく逃げ切ったと思う。今思い返してみると、母が私たちに対して、身体に大きな傷が残るほどの暴力をしてきたことはない。祖父母も一緒に住んでいたから、傷が残って祖父母にバレたりしたくなかったんだと思う。それに、痩せてガリガリだったので、そんなことをする力がなかったというのもあるだろう。
それでももちろん、兄が幼い頃からおってきた心の傷の大きさは計り知れないし、私は兄が虐待される様子をみていて、いつも本当に怖かった。
私にも兄にもよく手をあげた母は、幼い私に、「叩いた手だって痛いんだから、これ(手をあげること)は親の愛情なんだ。物で殴る人もいるんだから、自分の手で殴ってる自分は偉い」と言った。そういうもんなのか、と思った。
今日はここまで。