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映画『焼きナス』         


《りろの 食・旅エッセイ》~食材への愛 編~1


 
 ポンッ……プスウゥーーーーーー
 網の上に転がったナスが音を立てる。堰を切ったように真っすぐ立ち上る湯気。相槌を打つごとく鳴き始める中庭のひぐらしの声。夕立はもう上がったようだ。

 もし私が映画を撮るなら、こんな始まり方の作品を記録してみたい。それほどまでに焼きナスはドラマティックなのである。

 出来れば火鉢に炭火がよい。白い灰に埋もれたゴトクに目の粗い網を置き、艶めかしいナスを丸ごと四本並べる。魚は殿様に焼かせよ、餅は乞食に焼かせよ、という、今では一部自粛すべき言葉の入ったことわざがあるが、ナスも殿様気分で焼くほうがよい。

 余談だが、京都ではせっかちな人を「イラチ」と呼ぶ。“ラ”を上げて読む。関西方面の方言であろうが、ナスはイラチに焼かせてはいけないのである。いったん火にかければ、しばらくは触れずに待つ。火に当たっている下部の皮が焦げたかと心配になるが、すぐにひっくり返さずに耐えるのだ。そうすると徐々に上部の皮の艶が消え、丸い実がますます丸くふくらんできてパンパンにはち切れそうになる。皮の中ではあのクリーム色の果肉がしっかり蒸されて水分がジュワリとあふれ出し、透明感が増してきている頃だろう。やがて限界を迎えた皮の突っ張りが縦に弾け、ポンッと冒頭の音を立てるのである。映画館の画面いっぱいに映し出された巨大なナスから勢いよく湯気と細かな水しぶきが上がる場面に、観客はグムッと唾を飲む。

 ここで初めてナスを裏に返す時を迎える。内部に蓄えられた水分が、先ほどの皮の裂け目からポトリと垂れる。赤くくすぶった炭がチュンと鳴り水滴が弾けて転がる。焦げた皮の匂いと炭火に落ちた果汁の焼ける匂いが湯気と共に漂い、暑さの残る庭の空気に溶けるのを眺めているうち、網の上のナスが息を吐き切ったように平べったくなってくる。きめ細かなスポンジだったナスの内部が、しっとり濡れそぼった完熟いちじくのように重みを増してきたら焼き上がりの合図。皿に取ってしばらく冷ます。

 子供の頃、ここで用意しておいた氷水に浸すと教えられた母の言葉を数年前まで守ってきたが、今はやめた。香ばしく焼けてパリパリと細かくヒビの入ったナスの皮は氷水の侵入を防げない。すぐに引き上げて水分をふき取ったとしても少なからず水を吸ってしまうし、丁寧にふき取れば果肉からにじみ出るジューシーな汁まで取り除くことになる。一滴も逃さず旨味を味わいたいなら、ここは自然冷却に限る。

 やけどしない程度に冷めたらさっそく皮をむく。パリパリに焦げた部分はすべて取り除くが、直接火が当たっていない部分の皮は残しておく。野菜や果実はたいてい皮とその周囲に味の核が集まるものだ。ましてや栄養的にも価値のある紫色のポリフェノールだ、すべて捨てるには忍びない。少しは残せるようにと気遣いながら焼くのも焼き人に課された役割だ。とはいえ、皮が焦げるまで焼くことであの独特のとろみが現れるのだから、あまりこまめに裏返さず、じっくり堪えてバランスを図るのである。

 間違っても捨ててはいけないのが、ヘタの部分だ。ここがナスの最上級スポットと断言してもいい。甘みを含んだ濃厚な味わい、きめの細かさ、少しモチッとした弾力を感じる歯ごたえ。もはや「ヘタ」という呼び名を充てることが失礼とさえ思う。この部分は、えんぴつを削るがごとく皮だけをむくべし。先端の少し硬いところまで味わってこその焼きナスだと心得たい。

 温かみの残るナスの果肉に、すりおろした生姜を添え、あっさり目の醤油を垂らしていただく。いったいどこからこれほどの果汁が湧き出てきたのかと思うようなみずみずしさと、他の物質にすげ代わったかのごとくトロリと溶ける舌ざわり。生姜の辛味に引き出される甘さと、夏野菜らしいさっぱりしたあと味。これほどシンプルながら、焼き方ひとつで味わいの変化まで愉しめる野菜が他にあろうか。

 備前焼の皿に一本ずつのせ、ひとつは向かいに置く。
「やっぱりナスは焼くに限るな」
 醤油を垂らしながら相方が言う。いつの間にか止んだひぐらしの声を探して庭に視線を移すと、手水鉢の縁取りがじわりとにじみかかっている。少し日も短くなってきたようだ。

 さて、残った二本は深めの小鉢に入れ、少しだけ濃いめに味を調えておいたかつお出汁をひたひたに注いで冷蔵庫にしまうとしよう。明朝、みょうがを刻んで添えれば「翡翠ナス」の出来上がり。琵琶湖沿いを北上した時に買い求めた長浜のガラス鉢に取り分けよう。細切りのかつお節をひとつまみ置いてもいいな。宝石のごとく輝く翡翠色の冷製ナス。どうだ、これほど映像に似合う野菜もそうそうないではないか。

 暑さももそろそろピークを過ぎるだろう。夏のごちそうも食べ納めの時が近づいた。
 
                      ~りろ~



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