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noteを開いてくださりありがとうございます。

りっきーと申します。

今日は私の半生③、社会人になってからを振り返ります。
(これまでの半生はこちら↓↓)

気が向いたら見てくださいませ!ではどうぞ!!


1. 入社:いきなり壁に

1-1. 新卒からの配属

希望の化粧品メーカーへ就職。最優秀学生賞という肩書きを引き下げ、自信満々で入社。研究職採用で、当時考えていたのは、
●スキンケア・メークアップ化粧品の開発したり処方を研究する部署
●基礎研究(皮膚整理・肌科学をおもに取り扱う)を行う部署

のどちらか。

どちらの部署になった姿も想像しながら、うまくやれるかな?どっちが向いているかな?とワクワク。個人的に強い関心があったのはメーク。一瞬で外観に変化を与える魔法のような力があると感じていた。

新人研修を経て、いざ配属が発表。

(ドキドキ…) 『あなたの配属は安全性評価です』『え?何それ?』

正直、動揺した。ちなみに同期は花形の開発。いきなり挫折感。道を外された感じだった。

1-2. 社会不適合?

研究職らしい仕事への憧れはあるものの、配属後は、化粧品の安全性も重要だなと感じ、気持ちを切り替えた。手取り足取り教えてもらいながら仕事を順調に進めていくが、だんだんと仕事が回らなくなる。
大学院では、割と自由に自分で実験をしてきた。なので、ヒトと一緒に仕事を進めることがこんなに大変だとは思わなかった。職場はベテランの女性の方が多い。皆さんパワフルで圧がある。問い詰めらえると頭が真っ白になる。父親のような高圧的な人が嫌だという思い込みもあり、自分自身がそう言った人をより遮断していた部分もある。また、社交性やコミュニケーション力が低く、また完璧主義なところがありアドバイスを聞きにいけない。

聞けない→進まない→怒られる→もっと聞けない→遅れる→もっと進まない…
の悪循環。

隣の席で、若手の先輩が毎日、ベテラン社員の方に怒鳴られケンカしていた(ちゃんと反論できていたのすごい…!)。
見習って私も自分なりの意見を述べて必死についていこうとするが『○○さんはそう言ってない』『前例がない』という考えでいつも撃沈。安全性という部署なのでトラブルは絶対ダメ。守りの意識が強く当然の部分もある。でも大学院の時はもっと自分で考えて納得してPDCA回せてたのにできない。一方、納得できないままでも言われた通りやると一応はスムーズに進むことも。ただそのスタイルでやると、周りの部署(開発部隊)の嫌な顔をされることが多かった。『あなたの部署はあなたの部署を守ることだけしか考えてない』と言われる感じ。だから先輩に聞いて言われたとおりにやるけど、ヒトから感謝されない仕事な気がして、心が持たない。

とにかく、怒られないように必死に頑張れった。ただ朝通勤した後、お昼休みにご飯を食べた後、自分のデスクに行けなくて、誰も来ない屋上につながっている階段でひとり『大丈夫!いける!今日だけ頑張ろう!』と言い聞かせていた。
どんどん自己効力感が下がる…。社会不適合者なのかと良く思った。元来、自己肯定感が低いため、成果で認められないと自己否定が始まっていく。

辛い。普通でいい。人波でいい。いっそ辞めたい。

でも、せっかく入った大手、志望の業界、遠距離恋愛まで決めて入社したのに…。という思考でやめる勇気もない。

コラム HSPと不眠症

HSPHighly Sensitive Person)
たくさんやった診断テストでほぼ当てはまるので間違いないと思う。こんな特性。Depth of Processing(深い思考)、Overstimulation(刺激への敏感さ)、Emotional response and empathy(共感力)、Sensitivity to Subtleties(感覚の鋭さ)。最近は書籍を何冊も読んだり、セミナーに参加してうまく付き合えている。
例を挙げると、小さな騒音、少しのたばこのにおいが気になる、驚かされると過度にびっくりする、ヒトの悩み事を過剰に自分事化、競争を煽られるのが嫌、マルチタスクが苦手‥などでストレスをためやすい。
当時は上司が自分以外の人を怒鳴りつける声や職場のおばちゃんの噂話が聞こえてくるのに過敏に反応。自分のことだと被害妄想を膨らますことも。

不眠症
書き忘れたが、元々不眠症気質。記憶にあるのは中学校ぐらいに父が母を怒鳴っているのを毎晩聞いていた時ぐらいから自覚がある。ストレスがたまると発症する感じ。当時も翌日を迎えるのが嫌すぎて寝つきが悪かった。

2. 転機

2-1. 昇格試験

入社2年目で一度目の昇格試験があった。上司や先輩がお正月休みもメールでのやりとりしながら自分の成果のまとめやキャリアビジョンなどを一緒に考えてくれた。
でも今の仕事でどんなビジョンを描くのか分からない。書けない。決めた期日に上司へ進捗を見せれずメールで怒られる。期待に応えようと自宅のパソコンに向き合うが、本当に言葉が出てこない。何とか、嘘を並べて書類を作り、面接でも嘘だけを言って何とか合格できた(ほぼ100%合格する)。

2-2.労働組合への参画

昇格後、しばらくして労働組合執行部の募集があった。一般的には会社のことを良く知っている中堅社員が会社と経済交渉(春闘)などを行う。仕事をしながら業務時間外で組合活動をやるので大変。当時はなり手が不足。アンケートがあって『執行部をやりたいですか?』と聞かれたので『はい』と答えた。将来的にはやりたいな、ぐらいのつもりだったのが、そのアンケートにはいと答えたのが100人以上いる対象者の中で私一人だけ。
執行部の人に『本気でやれるの?』『この社歴、この若さでやった人いないよ?』と言われ、ビビる気持ちもあったが、むしろ誰もやったことないの最高じゃん!と思い、やることを決意した。

2-3. 充実

執行部への参画は、上司にも怒られたけど(そんなことやる前に仕事しろ、みたいな)、結果はやってよかった。職場と違い、肯定的でアイデアや提案も真剣に受け止めてくれる。失敗すると、失敗したことよりも次どうするか?をみんなで話し合う。正直、同じ会社でこんなに価値観、考え方が違うんだなとびっくりした。

労働組合での活動は大変だった。というのも会社の工場閉鎖があったから。いわゆる早期退職を募って人減らしていくような会社の変革期。労働組合は組合員の雇用を守るために闘わなくてはならない。多分、10年20年に一回あるかないかの大変な時期。組合員と会社の板挟みもあった。とはいえ、会社を強くするために必要な変革。前向きな仲間、自分でアイデアも出しながら力を発揮できている感覚。充実感があり仕事よりも熱中した。不安を抱える組合員が相談してくれた。他の人には内緒で‥みたいな私だけに相談してくれる人もいて、その人にいろいろ相談の中で前向きな気持ちになって笑顔になる瞬間はすごく満たされていた。この当時の経験が一番の財産だと思えるぐらい。
この頃、遠距離恋愛を経て結婚する(詳細は割愛)。

コラム 死
当時一緒に頑張っていた同じ執行部の仲間が亡くなった。自死。いろいろ抱えていたものがあったらしい。どこまで触れていいのかわからないのと、想像も含むので多くは言及しない。会社のせいとか環境のせいとか、それがすべてではないと思う。ただただ、同じような人が出ないように、もっとみんながワクワクする前向きで仕事を生き生きできる会社にしたいと思った。

3. 花形部署へ

3-1. 異動

辛い経験も受け止め、工場閉鎖も落ち着き、組合執行部の任期も終えようとする頃に開発へ異動した。たぶん、組合執行部をやってなかったら異動はなかったのではと思う。そもそも辞めてたかも。最初のチームでは開発未経験で思うようにいかなかったが、同期と3人で同じブランドを開発する経験もできた。ようやく同じ土俵に立ったと思えた。その後、部長から『あなたはこっちのチームの方が向いている』と言われ、そこからメークアップ開発をやれるように。

3-2. 超楽しい

会社に入ってこれほど、前向きな部署はなかった。スキンケア品と比べメーク品は立場が弱く(売上も利益も低い)、いつも斬新なアイデアが求められた(ストレングスファインダー着想1位は燃えた)。自分なりに試行錯誤するやりがいがある。自分なりのちょっとしたこだわりを持ったものを創るのが楽しかった。品質トラブルで土日も朝から夜までひとりで実験室で試作を繰り返したこともあったが、喜んでやった。

コラム 二度目の昇格試験
メークにいた時。最高のタイミング。先輩の助けもあり一発合格(合格率は50%ぐらい?)。やりたいことへの言葉がどんどん出てきて夢中で書けた。最初の昇格試験の時の上司が当時人事部にいて、小論文の採点をしていたのだが、『お前がこんなクオリティのもの出してくるなんて…』と褒めてくれた。合格者の中でも特に優れていたと言ってくれた。

4. 適応障害

4-1. 夢の時は長く続かず

会社の変革はまだ終わらず、研究開発体制が一変。わたしは新設される基礎研究の部署へ同期の子と異動。新しい上司は、同じ開発部署出身。優れた成果を上げてきた人で、自分にも他人にも厳しかった。一見冷静に見えてかなり感情的に正論をぶつけてくる。これが合わなかった。
自分がやりたいことは常にダメ。上司が正解。いくら言ってもねじ伏せられる。新入社員の頃と同じ。『お前は失格だ』とはっきり言われる。一旦、Noを主張しようものなら、そのことでたくさんのありがたい”フィードバック”をもらう。モヤモヤしている点を解消したくて聞いても、いかに上司の主張を伝えられるだけで解消しない。
毎朝、一番に会社に行き、夜遅くなるまで働いた。厳密には働くというよりも、上司のことを理解しようとし、どんな会話をすればいいのか?をひたすら考えた。そして不眠症になった。毎晩、ベッドでびっしょりと汗をかき、脳が熱くなり、寝ようと思っても寝れない。少し寝れたと思うと上司の夢を見る。ナイフを持たされ、『こ〇して来い!』と命令される夢。どんな意味があるのかはわからないが、23時間ぐらい上司のことを考えていたかも。

4-2. 休職

同期の子が追い込まれ休職した。心の支えだったので私も拠り所がない。それから2か月後。いつも通り、朝5時過ぎに駅に向かう途中、足が進まない。その日は報告会があって資料を作ってみんなに報告して上司からたくさん”フィードバック”をもらう日。早く会社にいかないと。でも行けない。近くにベンチがあって座った。大体3時間ほど座っていた。もう9時の始業。無断欠勤はできないと思い、何とか休む旨を電話。そして運命的。座っていたベンチの目の前に合ったのが精神科の病院。自分自身がお世話になるとは思ってもなかったが、休んでしまった以上、何か手を打ちたいと思い診察を受ける。

診察で適応障害と診断され、睡眠導入剤と抗うつ薬をもらう。休職も進められる。だがなぜだろうか、わたしは薬を飲まず、翌日からまた会社へ。休職する自分を受け入れられなかった。上司と話もして、私が抱えていたものを理解してくれ、配慮もあった。

無理をして仕事に行ったところでうまく進められなかった。当時、カレンダーとかスケジュールを見ると、吐きそうになる症状が発生。先の日付を見ると『この生活をこの先もまだ続けるってこと?』と考えてしまう。未来が怖い。絶望的な未来なんか考えたくない。仕事などできるわけがない。
1か月はだましだまし続けたが、ある朝やっぱり会社の実験室で足が止まり、上司のいるデスクに行けなくなった。そこで医務室、人事に連絡。出社しながらその日から休職。約半年間お休みすることになる。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

ついに私も社会人になりましたが、まだまだ自分が語りがしたくなり、結局半分に分けることにしました。ということで次回続きを書きます。


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