家事は、小さな心地よいを目指す自分のための時間だと思った話
家事は、善意とボランティア精神の集合体だ。就労のように一応の決められた勤務時間がないから、24時間動き続けることだってできてしまう。
そんな家事を一体何のために毎日続けているのかと言えば、結局のところ自分のためなんじゃないかと最近は思う。家族のためと言えば聞こえはいいけれど、人のためという心意気だけで乗り切るにはえげつない仕事量だと感じることがあるのだ。たぶん、「自分のため」というのが私の場合は正直な落としどころなんだと思う。
家での時間を気持ちよく過ごせるように家事を通して家の中を整えていく。掃除機をかけて視界がすっきりするとその空間で洗濯物をピンチに吊るす時間が心地よくなる。その洗濯物を外の物干し竿にかけた時に見える庭は広いとは言えないけれど、植物の芽吹きを楽しみたいから近々草取りをしようか。そうだ、窓がきれいだったらリビングからも今よりよく見えるな。
暮らしの中には「心地よさ」の連鎖があって、家事をしながらその心地よさを一つずつ積み上げていく感覚。タスクになりがちな家事だけれど、終えたその先には必ず暮らしの気持ちよさや好きな眺め、作業のしやすさなど何かしら見返りがあって、心地良い空間というゴールにたどり着くように仕組んでいきたいと思っている。
家事は、自由だ。
順番もルールも使う道具も家事をする者が決定権をもち、家事をする者が好きに組み立て実践できる自由さがあると考えることもできる。その自由さを楽しみながら、気持ちのいい空間を作っていけたら最高だと思うのだ。
そうはいっても、心身疲れているときに夜な夜な体に鞭を打ってまで掃除をするような義務感や根性はいらないと思っている。家事の先に待っている自分のための「心地よさ」のために、リビングに置きっぱなしの絵本を本棚の上に置くくらい。その程度の身軽な気持ちでいたい。
私はきっと人のためだけに時間や労力を尽くすということはできないんだろうと思う。人から頼られることや喜ばれることが生きることの最善と信じて、自分の想いは二の次で相手に寄り添い過ぎた結果、心が疲弊している事にも気が付かないような若いころもあったけれど。
今は、人にやさしくするためにまず自分の「好き」や「心地よい」を大切にしていたいと思っている。
家での時間は、自分の暮らしの最小単位。一番身近で小さな身の回りを心地よくし、そこで過ごす時間を楽しむことが出来たら、その最小単位の空間を共有する家族にも優しさや幸せを分けてあげられるような気がしている。
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