順不同(思い出した順) @映画館 *クルエラ *竜とそばかすの姫 *ミラベルと魔法だらけの家( 原題:Encanto) *フリー・ガイ(原題:FREE GUY) *ジャングル・クルーズ(原題:Jungle Cruise) *イン・ザ・ハイツ(原題:In the Heights) *護られなかったもの達へ *ディア・エヴァン・ハンセン(原題:Dear Evan Hansen) *リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様 *レミニセンス(原
幼少期に住んでいた国の交通状況を一言で表すなら、「無秩序」 日本の交通事情しか知らずにその文化に触れることは、こども視点で見てもあまりにむちゃくちゃだった。 そのむちゃくちゃを超えて不思議なのは、そんな状況にも次第に染まっていく人間の順応力である。 適応ではない。順応である。ただただ染まっていくんだ。 信号のない道路で車をよけながら歩くことも、車線なんかどこにあるのかわからない状況の車に乗っていることも、その車の窓を道行く物売りにノックされることも、日常のとある一コマ
昔からたまにつけている日記も、このnoteも、学生時代たまに作っては消してきたブログやらも、なんとなく「自己反省」の為にかいているのでは、と最近気づいた。 あまりというか、ほとんどしないといっていいほど、自分のかいたものを読み返すことはないので最近まで気づかなかった。 でも、私がなにかを文章にしようと思う時って、決まってなんだか自分の中で整理のつかない感情に包まれた時が多くて、その整理のつかないもやもやをどうにかプラスに転じさせようともがいている自分がいたように思う。
寂しいと口にすることは簡単だけど、その寂しさをいつも他人に埋めてもらうばかりじゃいけないな、と思い始めて数年。 やっぱり、一人がさみしいときの対処法は他人に頼ることでしか私は解消できないのでは、と思い始めている。 さすがにそろそろ一人暮らしをしなければ、という年齢なのだけれど。 なかなか一歩を踏み出せずにいるのはなにも金銭的なことだけが理由でない事も、自覚している。 家をしばらく空けていた両親も帰ってきて、子供たちが全員社会人となったことも相まって家のリフォームの計画も
10時過ぎになんとなく日が昇ったなぁと思ったら、おやつの時間の15時にはもう夕暮れで、一日が終わったと感じるくらいの暗さになってもまだ18時。 冬の暗さがつらいとは聞いていた。 時を同じくして同じ場にいる人たちの、いわゆるつぶやきの中には「どうにかこの冬を生き延びるぞ!」といったような意気込みも散見された。 私自身はなんだかすっごい眠いなぁ、と思うことはたまにあったけれど、これは日本にいても年中大体同じことで。 むしろこちらに来たばかりの頃、家の中の電球が全てどこもかしこ
遅きに失する 隔靴掻痒 跋扈 跳梁跋扈 総花的 猖獗 angostura マリアナ海溝 ベーリング海 廟 人品骨柄 吝嗇化 当意即妙 輪島塗り 屈託はない の、でもが、でもない。 昔日 含羞 析出 知的地平 古刹 肝要
通っていた大阪の小学校では、六年生が広島への修学旅行の際に持っていく千羽鶴を、毎年全校児童で折っていました。 その当時広島の事をどのように説明をされたかは覚えてないけれど、「トビウオのぼうやはびょうきです」というアニメーションは強く記憶に残っていて、同じ時期に「はだしのゲン」を図書室で読んでいたこともあってか、とにかくその折り紙の時間がとても印象的です。 (「トビウオのぼうやはびょうきです」は戦後の米国による水爆実験を題材にした物語であり、広島への原爆投下や第二次世界大戦と
『やってみなきゃわからないじゃん』って人はよくいうけれど、何かをためらっている人にとって、その言葉はどれくらいの力を持つのだろうか。 たしかにこの世の中やってみないとわからないことだらけなのは、わかるんだけど。わかった上で、不安だし、悩んでいるんだよ。 ちょっと調べれば沢山の情報が出てくる世の中で、「それでも体験は人それぞれだから」ってフォローなのかフォローじゃないのかわからない言葉を添えられでもしたら、「それぞれだからこそ、不安なのだけど」と思わずにはいられない。 『
最近ちょっとだけ、言葉にするのが難しいなぁと思う、けれど誰かに聞いてほしいというか一人では消化できないなと思うような、かといってSNSに投げるのもなんか違うなぁ、でもやっぱりこのぐるぐるした気持ちを産んだ出来事について誰かに聞いてほしいなぁ。と、思うことがあった。 結局カフェで一時間かけてそのぐるぐるの出来事をメールにつづり、「返信はいらないです。でもいつかこの話を直接したいです。」と付け足して、とある人に送信した次の日 「そこから何を気付き、何を学び、次に同じような機会
年賀状も送らなくなって久しいのだけれど、せっかくだからと今年はクリスマスカードを送ってみた。 とはいってもおそらく年賀状よりも遅く届くような日に出してしまったのだけれど。。。 私が送ったものと入れ替わりのように、たくさんの文字のつまったクリスマスカードが届いたのは私が北極圏でスキーに勤しんでいる最中で、帰ってきて机に置かれた封筒を見た私は、長旅を共にした重いコートを脱ぐよりも前に、手紙を開けていた。 「たまには東京の電線が交わうせまい空も恋しいかと思いまして。」 ありがと
海の塩分濃度が違うことが原因で、磯臭くない海がこの地球上にある、ということを私はこの間知った。 場所によって海の色が違うことも、生息している魚が違うことも知っているのに、どうして海の塩分濃度が世界中でそう変わらないと思っていたのか。己の想像力の欠如にもはや脱帽。 お風呂かプールだとでも思っていたのだろうかね、私は。 そんなわけないだろって。 地球は7:3で海のほうが陸地より広い。公然の事実である。 塩分濃度が変わるほどに、その7割の海は広い。 一方で、つまり人間は、この
今住んでいる場所に近い海は、『磯臭く』ないわけなのだけども、その理由を知ったのは実は調べたからではなくて、人に教わったのだ。 父の、友人の、友人から。 ある日、ほろ酔いの父から突然メッセージが送られてきた。 誰かからの転送だと思われるメッセージと、父の『友人Aさんの友人で、そちらに住んでいるBさんを紹介してもらいました』という一言が。 この年齢にもなって恥ずかしい話だが、過保護な父なのである。 こんな情勢の時に知人が全くいないところに来ているので、それもあったと思う。
海の傍の街から、海の傍の街へと引っ越してきた。 引っ越し、というには少々大げさかもしれないけれど、まぁつまり、ちょっとだけ生活の拠点を、移してみた。 少し前まで住んでいたところは、決して海が目の前というわけではない。 歩いて3分のところに川はあるけど、海へ行くには自転車で15分くらいかかる。 これは近いのか?近いと私は思っていた。平均とか知らんけど。 とにかくその距離でも『磯臭い』と思うことがよくあった。 特に雨の日、風の強い日。 電車を降りて、目視より前にそのニオイで「あ
最近は家で歌を歌っては怒られている。 (つまり家に人がいる。おかえりなさい。もう言ってもいいでしょう。たぶん。知らんけど。) 在宅で女性社員に化粧をしないことをわざわざ指摘する上司なんてとんでもない人もいるもんだと思っていたし、今ももちろん思っている。 最近目にした「オンラインMTGのマナー」といった記事は、その見出しだけでヤメテクレよってつぶやきそうになる。 なのだけれども。 ここ数日Tシャツを着て仕事をしている父のその、そのままの、その姿が、会議でもそのまま映っている
今回の台風についての注意喚起が私の周りで流れ出したのは、実感としては10月9日前後です。 -------------------------------------------------- 10月8-9日 運動会できたらいいなぁ。---------------------------- 私は普段保育園で働いているのですが、週末の運動会がどうなるのかという不安もあり、SNS等で飛行機の欠航や、江戸川区のハザードマップ「ここにいてはダメです!」が一部話題になるよりは少し早く、
こんにちは。 私の住んでいる江東五区と呼ばれる地域は、台風一過のスッキリとした朝でした。 今も被害が拡大している地域の皆様の安全を願うばかりです。 今回の台風(2019年台風19号:ハギビス)で、 家族とは複数の連絡手段を持つべき、そして家族がバラバラに住んでいる場合は自分の住んでいる場所の防災情報等を事前に共有すべき と痛感したのでそのお話をしようと思います。 ~わたしの家族~ ①五人家族 父・母→アフリカに赴任中 私(社会人)・弟2(大学生)→江東五区内の(歩い