次の3月までに「花は咲く」を弾けるようになりたい。
通っていた大阪の小学校では、六年生が広島への修学旅行の際に持っていく千羽鶴を、毎年全校児童で折っていました。
その当時広島の事をどのように説明をされたかは覚えてないけれど、「トビウオのぼうやはびょうきです」というアニメーションは強く記憶に残っていて、同じ時期に「はだしのゲン」を図書室で読んでいたこともあってか、とにかくその折り紙の時間がとても印象的です。
(「トビウオのぼうやはびょうきです」は戦後の米国による水爆実験を題材にした物語であり、広島への原爆投下や第二次世界大戦と直接的には関係するお話ではありません。)
私は結局その学校で修学旅行に参加することはなく、それでも子供のころから8/6が近づくと昔からなんとなく興味を持てていた初めのきっかけは、間違いなくあの折り紙の時間だったな、と思います。
一方で、阪神淡路大震災については大阪に住んでいたにも関わらず学んだ記憶があまりないのは、よほど避難訓練が嫌いだったか、転校先での避難訓練が特殊すぎたからでしょうか。
また、久しく思い起こすことが無かったのだけれど、保育園で働くようになってから、新潟中越地震での軌跡の生還と言われた男の子の事をよく思い出すようにもなりました。
3.11は確かに日本にとって衝撃的な出来事であったけれど、『伝えていかなければいけない』とされているのはそれだけではないんですよね。
そして、『伝えていかなければならない』ことを、どのように伝えていくのか。
戦争を経験した語り部の減少が話題になって久しく、同時に、東日本大震災の記憶のないだろう子供たちもどんどん成長していく。
先日3.11に関するNHKのドラマを二本ほど見ました。
一つは私も大好きな絵本が登場するドラマ、もう一つは実体験を元にしたドラマ。途中見たり見なかったりでしたが、なんと2月スタートの「ハルカの光」も東日本大震災をテーマに盛り込んだものでした。
これらを良い作品だったなと思いつつ、この10年間の3.11関連のドラマについて、絶対に他にも見ているはずなのに私は何も覚えていないのです。
自分自身これに気づいたとき衝撃を受けました。
なんででしょうね。そこまで記憶は悪くないはずなんですけれど。
大阪に住んでいたにも関わらず折り紙を折ったという一つの経験から、広島についてのほうが印象的である事、久しく思い起こす事もなかったのに環境が変わって思いを馳せるようになった事、人生で初めて本気で死ぬかもしれないと思った出来事なのに、それに関して見ているはずの番組の記憶をきれいに忘れてしまう事。
受け取る側からも『伝えていくこと』の難しさを強く感じると共に、それでもなんとかして伝えていこうとする人たちの事を、改めて尊敬します。
受け取る側はもしかすると、受け取ったその時一回でいいのかもしれない。
けれど、伝えてること、伝え続けていこうとすることには、とにかく体力が、精神力がいるのです。
10年後や20年後には、もう少ししっかりと10年前のことをそしてそこからの事を、その時伝えたいと思った人に伝えることのできる術を持ちたい思った数日間でした。
まずは、1年後のこの日までに、「花は咲く」をピアノで弾けるようになることが目標です。
これが、私なりの伝え方を模索していく、そのための一歩です。