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『FINAL FANTASY Ⅲ』は『FF』っぽくて『FF』っぽくない

 『FINAL FANTASY Ⅲ(FF3)』のピクセルリマスターをクリアしましたよ、と。

 正直、ファミコンのRPGって舐められやすい傾向があると思う。まだ容量もないし、各メーカーの技術力もアイデアも現代と比べるとどうしても見劣りする。

 でも、この『FF3』に関しては、明らかに違う。どう考えても他のファミコンRPGとは比べ物にならない完成度を誇っている。『ドラクエ』vs他タイトルというレイドバトルみたいな構図のファミコン市場において、この名作だけセンスが光りすぎている。



 でも、なぜ『FF3』がそのような有象無象のRPGを押しのけて『ドラクエ』と対等な立場に立てたのだろうか。


 それは、この作品が『FF』らしくないからだと、僕は思っている。




『FF3』のRPGとしての面白さ

 『FF』らしさについて語る前に、まずは『FF3』の面白さを知ってもらう必要がある。まだこの頃の『FF』は『ドラクエ』に代表されるターン制のコマンドRPGだった。
 各ターンの開始時にパーティキャラの行動をまとめて入力し、入力後は戦闘の経過をじっと見守るという、「ありがち」なシステムである。

戦闘画面

 しかし、『FF』はそのありがちな戦闘システムに、毎回一ひねりを加えていた。
 初代『FF』なら、六種類のジョブから好きな構成でパーティを組ませることで、戦術の違いにより戦闘の自由度を増したし、『FF2』なら、熟練度システムによって、育成の幅を持たせて何度も遊べるゲームに仕上げた。

 それに対して、『FF3』は初代『FF』を発展させ、ストーリーが進むにつれ解放されていく22のジョブを自由に組み替えさせて戦闘の自由度を底上げした。
 それに加えて盗賊の「むすむ」や「かぎあけ」のように冒険自体で役に立つ特徴を持ったジョブを追加することで、過去作より冒険の楽しさが増したといえる。

 ただ正直、この『FF3』のジョブシステムというのは、当時ですらありふれたシステムではあったと思う。なぜならRPGの祖となる『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を源流としたRPGはこのジョブシステムを脈々と継承していたからだ。
 また、『FF3』の前年にはファミコンRPGの”大魔王”ともいうべき『ドラクエ3』が発売しており、この作品もジョブシステムを採用していた。

 そんな大御所たちに、『FF3』は果敢にも立ち向かった。王道であり、悪く言えばありきたりとも思えるジョブシステムを、22のジョブをいつでも変更できるようにしたことで独自の味を生み出した。

個性豊かな2(2)つのジョブ

 盗賊の特技も、いつでもジョブを変更できることで使わずに終わることがない。すべてのジョブを活かさせる仕組みを作ったことが、『FF3』の面白さを証明している。

『FF』らしさとはなんなのか

 では、その面白さの理由を踏まえた上で、改めて『FF』らしさを考えてみる。

 『FF』は変なゲームだ。多分、「変」としか形容できないシリーズである。毎作品毎作品、世界観もゲームシステムも何もかも変わるし、要はシリーズの名を語った別作品の群れなのだ。

 シリーズ37年、合計16のナンバリングがあるということは、37年分の変なゲームと、16個のめちゃめちゃ変なゲームが集まってできていることになる。「らしさ」など、見つけようがないように見える。

 しかし、それらをよーく観察してみれば、少しづつその共通点にピントが合うだろう。

 例えば、宇宙などのSF要素を盛り込んだシナリオ。

 例えば、ATBのようなリアルタイムに近い緊張感のある戦闘。

 例えば、「ノムリッシュ」と呼ばれる独自の用語を詰め込んだディープな世界観。

 それらを組み合わせ、こういうのがだいたい『FF』っぽいよいよね、という共通認識が今、生まれつつある。
 この『FF』らしさというのは、もちろん多くのRPGにはないものである。『ドラクエ』に飛空艇出てこないし、『ペルソナ』でファルシのルシがパージしてコクーンすることはない。いや、あるか…!?

 逆に、RPGには王道がある。いわゆる騎士英雄譚、世界を揺るがす神や魔王との戦い、戦闘ならばターン制、ランダムエンカウント…。前述のジョブシステムだってそうだ。これらは多くのRPGでテンプレートとして重宝される。

 『FF3』は後者の方が多く当てはまる。闇に包まれた世界を救う光の戦士という発想は過去作からあれど、それらをより中世ファンタジーとして定着させ、ほぼすべてのシリーズでおなじみの機械文明もない。

 タイムリープもパラレルも、帝国による超兵器もない。代わりに、バハムートなどの召喚獣を採用し、王道ファンタジーとして、より『ドラクエ』に近づけてみせた。

 本作以前の作品や、SF色が非常に濃くなった最近の作品と比べれば『FF3』という作品は極めて異質だ。それでも、これが100万人のファミコン少年に夢を与えたという事実がある。
 では、独自路線を貫く『FF』シリーズの中で、どうしてこれが100万本売れ、今なお支持されるのか。

 その理由を次に語る。


『FF』に常識を加えること

 先ほども言ったが、『FF』は変なゲームだ。本当に。でも、『FF3』だけは王道を貫き、「優等生」のように佇んでいる。

 過去作『1』『2』は特に異端だった。熟練度という発想も、ラスボスがタイムリープした以前のボス敵という発想も。その全てが。
 それを『3』になって急に、不自然なほどありがちなテーマで仕上げてきた。それはなぜだろうか。

勇者vs魔王

 僕は、実はこれも一種の逆張りなんじゃないか、と思う。今まで一捻り入れていた作風を、あえて戻すことでそれも個性となっている。
 つまり、『1』と同じようにSF色を加えた中世ファンタジーでは、似たりよったりになってしまうので、逆転の発想で個性を引き立たせている、というわけ。

 さらにその王道路線でいけば、よりポピュラーなRPGとなり、大衆に受け入れられやすいものにもなる。

 僕はこの計算も『FF』らしいと思うし、複雑で大人向けな『FF』だからこそ、こういった選択肢がより個性的に見えるのだろうと思う。

 すげえいいゲーム。まあ全部妄想なんですけど。


 ありがとね、読んでくれて。



この背景と敵キャラ、ワクワクしませんか

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