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『FINAL FANTASY Ⅵ』はラスボスが弱いことで完成した名作

 『FF6』という作品は、ただでさえ名作ぞろいの『FF』シリーズでもトップクラスの評価と人気を集めている。
 
 発売から25年余りの間で、SFC時代を懐かしむゲーマーおじさんからカップリングに執念を燃やすオタクまで、幅広い層のファンを獲得してきた名作だ。今でも多くの人が最新技術によるリメイクを熱望し、僕もそのうちの1人である。

 僕は『FF6』が発売された当時はまだ母親の腹の中にもいなかったので、当時の評価や支持層というのをこの目で直接見ることはできなかった。しかし、そんな僕でもただ1つ明らかに証明できることがある。


『FF6』はラスボスが弱い。



(前提)概要

 『FF6』のラスボスはケフカ・パラッツォ。道化師のような衣装をまとい、狂気的な性格で初登場時からインパクトを残した敵キャラである。物語開始時点からすでに、主人公ティナを洗脳し手下にするという非道な行いをしており、仲間キャラの1人カイエンも家族を殺害されるなど、仇役として露骨すぎるほど顔を出していた。

 しかし、時折のぞかせるもう1つの面はさながらピエロそのもので、世界征服を目論むガストラ帝国の将軍という立場を利用し、手下にクツの砂を払わせるなど横暴ながらどこかコミカルなキャラクターとしての地位も確立する。というか、基本『FF6』は登場人物がどいつもこいつもどこかでギャグ挟みたくてしょうがない明るい作風なので、例に漏れていないだけとも言えるのだが…。

 しかし、それは中盤までの話だ。終盤、彼は世界の均衡を保つ三闘神の力を悪用して文字通り神となる。そこまでの道のりで彼は自らの主君・ガストラ帝国皇帝を殺害し、自分を止めようとする主人公ティナたち一行を物理的に引き離し、世界各地に離散させた。

 そして、神になったケフカが行ったことは、恐怖による支配。世界を切り裂くほどの力を持つ裁きの光により、自分に逆らったものは大地もろとも消し飛ばした。そのおかげで終盤からはワールドマップが一変し、海が赤く染まり、草木が育たない死の世界と化す。

 プレイヤーにとって、これだけのことをしてくれたケフカは宿敵の名にふさわしい。僕も初見プレイの時に最も楽しかったのがラスボス判明後のこのタイミングだ。それまでの「ガストラ帝国vs反帝国」の図式から一気に構造が変わり、衝撃の展開に引き込まれたのを覚えている。

 しかし、いざ戦闘するとなると、ケフカはあまりに弱い。尋常じゃなく、弱かった。それはなぜだろうか。


(前提)ケフカよ、なぜ弱い

 プレイヤーにこれだけ熱い思いをさせても、残念ながらケフカはクソ弱い。多くのプレイヤーがそのあっさりにした終幕に唖然とし、第2形態を期待して夢破れたことだろう。

 そもそも、ケフカはなぜ弱いのか。多分かなり知れ渡っていることだが、ケフカはHPが62000しかない(しかも形態変化や複数ターゲットがあるわけではない)。インフレの進んでいない過去作のFF4でさえラスボスのHPは120000あったことからもその低さが分かると思う。

 しかも、このゲームは育成の幅が広く、武器や魔法と様々な方法で、やりこまずとも簡単にカンスト(9999)ダメージを出すことができてしまう。パーティキャラは4人いて、9999×4ですでに4万弱与えていることになるから、ものの2ターンで撃破できるのだ。バグかな?(すっとぼけ)

 さらにケフカは、1ターン目の行動が敵全体のHPを1にする「心無い天使」で固定されている。次に攻撃されればひとたまりもない大技だが、裏を返せばケフカは、1ターン目にプレイヤーのキャラを倒すことはできない。かならずHPが1残ってしまうからだ。そしてプレイヤーのほうは前述の通り2ターンでケフカを倒せてしまうので、よっぽどのことがない限りは誰も死亡せず撃破しクリアできてしまうのだ。 


(考察)ケフカが弱いおかげで面白くなった

 ここまでの前提を踏まえて、改めてケフカが弱いことに対する感想と、その必要性を考えてみようと思う。

 正直、『FF6』を語るテーマとして、この記事はばかばかしいものだ。ケフカがいくら弱かろうと、それ以外にもっと論じるべきところがあったはずだ。それでも僕がこの話を語るのには理由がある。

 僕は『FF6』をクリアした時、改めてケフカを好きになった。その理由は単純で、多くの育成やダンジョン攻略を重ねた結果、ケフカを簡単に撃破できたからだ。それがケフカが弱かったせいだったとしても、僕には努力のおかげと映る。ケフカを簡単に倒したことで、全て肯定された気分になる。

 僕には、ラスボス戦で一度でも負けるとゲームを投げてしまう癖がある。今もそれで停滞しているゲームがある。だが、ケフカは気持ちよく勝たせてくれる。しかも、序盤から因縁をつけたことでなおさら勝ちたいと思っている敵なのだ。ケフカの場合は、あっさり倒せたことで得られるカタルシスがあった。

 極論、ラスボスが強かろうが弱かろうが、クリアしたなら「倒した」という事実は変わらない。そもそもラスボスに挑むのは、そいつを「倒したい」という感情があるからだ。ケフカはその点において優秀だったのだ。

 ケフカは弱かったことで愛されることになったし、ケフカが弱かったおかげで『FF6』も多くのプレイヤーが満足してクリアすることができたのだと思う。だから僕は、ケフカが大好きだ。弱いから、大好きなのだ。



弱いラスボスにも人権はある!!


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