『FF7』アバランチはスクウェア新時代のキャラクター像
はじめに
『FINAL FANTASY Ⅶ(FF7)』といえば、言わずとしれた名作RPGだし、このアカウントも何度も話題に挙げた作品なのだが、何気にこの作品のみを扱う記事というのはこれが初めてである。
25年以上昔の作品だし、なんならリメイク版が第2作まで発売しているというのに、僕はこの作品が放つ不思議な魔力に引き寄せられてしまう。
この『FF7』が発売された当時、あまりの映像美に衝撃を受けた人が大勢いたらしい。まあ、ゲームといえばドット絵というのが当たり前の20世紀に、黒船とも言うべき3Dグラフィックを目にすれば驚くのも無理はない。
しかし、僕のような若者はSwitch・PS5といった最新の映像技術を目の当たりにしている世代だからかグラフィックに関して何か沁み入るものがあるかといえば、正直ない。つくづく、時代とは残酷なものだ。
では、僕がなぜ『FF7』に感動しているかといえば、それは「劇中で登場するキャラクターに、どれも感情移入できるから」だ。味方も敵もNPCも、とにかく全部だ。
これは僕の主観だが、僕は今までのスクウェア作品でこれほど感情移入したものはなかった。もちろん、『Sa・Ga2秘宝伝説』の台詞回しにシビレたり、『スーパーマリオRPG』なんかでNPCのジョークで笑ったりということはあったが、『FF7』ではそれらの台詞全てが単発で終わることなく連携しあい、1つの重厚なドラマに仕上げているのだ。
そのことを体現するキャラクターが、『FF7』にはいる。「アバランチ」という組織のメンバーだ。
彼らは自分たちの信念に則り活動する過激派の組織であるが、その実態はテロリストにすぎない。彼らの活動で多くのライフラインが停止し、多くの人が亡くなった。それでも、彼らは応援したくなるのだ。それは主人公側の立場だからというだけでない。
ここからはアバランチという組織に感情移入した僕の気持ちを語るという記事だ。稚拙な文だが、付き合ってくれるならこれほどありがたいこともない。
アバランチは正義か悪か
『FF7』は序盤では巨大都市ミッドガルとそこを支配する神羅カンパニーを打倒するというシナリオになっており、その都合上、神羅カンパニーは主人公たちに仇なす悪として描かれており、その支配体制の瓦解が物語最初の山場となる。
そして打倒神羅に燃えるアバランチこそ主人公クラウドが協力する反神羅組織であるため、構図としては「正義のアバランチvs民衆を抑圧する悪の神羅」というふうに見えるわけだが、前述したようにアバランチのやっていることはテロであり、ミッドガルで利用される資源・魔晄エネルギーを使った発電所を平然と爆破する。
もちろんミッドガルは世界最大の都市ということで多くの人々が住んでおり、被害は生半可なものでは済まされないし、このイベントを真剣に検討すれば、(少なくともこのイベントにおいては)どちらが悪であるかは明白だろう。
にも関わらず、僕たちは彼らを応援せざるをえない。それは、彼らの「素顔」を知っているからである。
ここでメンバーを振り返ってみる。尊大で暴力的なリーダーのバレットを筆頭に、冷静ながらノリの良い2番手のビッグス、お調子者で素直な青年ウェッジ、活発で仲間思いな紅一点ジェシーの4人で構成されるのがアバランチ。そう、彼らは見方によればどこにでもいる普通の男女だった。彼らにはコネがあるわけでも、実力や資産が潤沢に揃っているわけでもない。
ただそんな彼らを突き動かすことが、神羅の横暴を止めるという正義感だったのである。
ヒロイックなNPCたち
ビッグス、ウェッジ、ジェシーと、彼ら3人は似た者同士だった。全員、愛嬌はありながらも実力は不足していた。それが主人公クラウドを雇い物語が始まる引き金にもなったのだが、そんな彼らが命と未来を捨ててまでやりたかったこととは何なのだろう。
本当に星を守りたいから?
自分が名を上げて周囲に認められるため?
それとも、復讐のため?
理由は違えど、彼らはお互いの思いを認め合い、仲間としての意識を強く抱いている。例え誰かが大きなミスを犯しても激しく責めたてる描写が一度もなかったのはそのためだ。
さらにいうと、バレット以外の3人はパーティメンバーとして戦闘に参加できない。NPCなのだ。それなのに、その台詞の数々で彼らの思いや性格が手に取るようにわかる。NPCだからといって、サブキャラクターで収めることをしなかったのだ。
彼らが強く訴えるから、神羅への敵対心が燃え上がるし、彼らがユーモラスに話すからアバランチに応援したくなる。NPCがプレイヤーにバイアスをかけることで、彼らへの親近感を覚えより世界に引き込まれるのだ。
スクウェア絶頂期の扉を叩いた青年たち
スクウェアというゲームメーカーは、『FF7』以前にも多くのRPGを発売し、高評価を得てきたヒットメーカーだ。しかし、『FF7』以前の作品にはアバランチほど人間味のあるNPCを作ることはできていなかっただろう。
正直、彼らが登場しようがしまいがRPGの戦闘面でなんの影響もなかった。なぜならNPCだから。にも関わらず『FF7』は彼らとの交流と彼らの死を丹念に描いた。それはなぜか。
他作品と違い、『FF7』ではテロ行為を極めて現実的に描写した。それも味方が行ったこととして。以前の作品ではもっと世界観が規模設定が違ったからマイルドになっていたところを、『FF7』は生々しく描くことを決めた。
そうしたときに、最もプレイヤーに近い距離で行動するパーティメンバーだけより、もっとテロ行為を正当化できるキャラクターがいたほうが後ろめたさがなく味わえる。むしろ、それらを「神羅によって」殺させることでプロパガンダ的にやる気を思わせることが可能だった。
NPCに感情移入することがゲームを進める動力になる。『FF7』が他作品と圧倒的に差をつけているのは「プレイヤーの煽り方」だったのだ。
いいゲームだなぁ。