見出し画像

鬱期から帰還。

鬱期から帰還しました。

いろいろと環境が急変しまして。順応できず、ここのところマイナス思考になってました。

どうにかしようと小さな我慢を積み重ねたり。

少しでも楽になれたらと服用しているお薬を増やしました。憂鬱な気持ちを和らげるお薬。

でも薬で鬱を抑えたせいで躁が目立つようになってしまい、ソワソワしたり散財したり過活動。

なんとかしたくて次は躁を抑える薬を増やしたところ、身体がまともに動かなくなってしまいました。

犬の散歩だけでへとへと。

職場に着いた時点でもう体力ゼロ。

数メートル離れたところにある物を取りに行くことがしんどい。

職場には行けなくなり、布団の中で過ごす時間が増えました。

次第に思考が偏っていき、「死にたい」「死ぬしかない」「私を煩わした人たちと一緒に私も死ぬ」といった危険思考に。ゾッとします。

もちろん本気じゃありませんよ。

「死にたい」って実際のところ「今の苦しい状況から抜け出したい」「幸せに生きたい」ということなんですよね。

つまり「死にたい」=「生きたい」。


それにしても不思議。

私は毎日日記をつけているのですが、それによると、数日前には「犬と一緒に眠ることができて幸せだ」なんてことを言っているのです。

もう随分と長い間、死にたいなんて思いもしませんでした。

それが合わない薬を飲むだけでとんとん拍子でここまで悪化するんですよね。


薬って飲めば飲むだけ症状が良くなるなんて安直な物ではなくて。

飲むことで悪化することも沢山あって、自分に合った薬を見つけるのはとても骨の折れることなんです。

自分に合った薬を適量飲むことで平和に暮らせたら一番だけど、日々変化する環境の中で心模様もその都度変化するから、その度に薬を調整します。

「調整」だから、処方が合わなくて今回の私みたいに一時的に悪化することもあります。

しかも飲み続けたらいずれ治るというものでもない…。

改めて考えてもなかなか大変です。


今回は、運悪く病院もお休みだったし、というかそもそも通院できる体力もなかったから、自己判断で薬の量を元々服用していた量まで減らしました。

すると「死にたい」という思考は綺麗さっぱり消えてなくなりました。

体力も完全ではないけれど少しずつ出来ることが増えてきています。

ソワソワするけれど死にたくなるよりは断然マシです。

なんとか鬱から脱出できて本当に良かったです。

でも薬の量を医師に相談せずに勝手に変えるのは絶対良くないので、次からは酷くなる前に早めに相談しよう。


一件落着。

だけど、病院で処方してもらう薬だけに頼るのでは駄目だと痛感しました。

楽になるための薬に振り回されるのは、良くない。

自分で薬をつくる、ということができたらいいなと考えています。

と言っても食事療法や認知行動療法など、これまでも様々な方法を試してきてはいるのですが、どれも「ちゃんと完璧にやらなきゃ!」と意気込み過ぎて窮屈になり、かえって具合が悪くなるのです。

そういうのではなくて、しんどくなってもこれをすれば安心できるということ。

自分オリジナルの処方箋。

ソワソワしたらこれをする。

焦ったらこれを。

不安になったらこれ。

過去をクヨクヨ悔やんだらこれ。

死にたくなったらこれ。

そうやって具体的に自分自身の取り扱い説明書のようなものを作っていけば、自分で自身の手綱をある程度握れるんじゃないかな。


ネガティブ思考モンスターに頭の中を好き放題させない。

いつでも心にお花を植えて楽園を建設する。

心にどんな嵐がやってきても、何度だって植え直す。

その景色を眺め自然と遊んで一生過ごしたい。

少しずつ地道に、愚直に自分に合った方法を見つけるしかないんだと思う。


そうして、生きるとか死ぬとか、そんなことを日々考えなくていいようになれたら。

その日1日を楽しんで過ごす。それを死ぬまで繰り返せたら。

これ以上ない。


結局私の言いたいことって毎回同じ流れで、同じ結論です。

しんどいことがあっても、地道に自分が楽な生き方を探していく。

そゆこと。