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蛇口からDNA
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「ごめん」は、
「許可」を意味する「免」に尊敬を表す「御」の付いたもので、
相手に許されることに注目した言葉。
「sorry」は、
「ひりひり痛い」を表す「sore」が語源にあって、
自分の心が痛いことに注目した言葉。
わたしが「ごめん」を好きなのは、その潔い感じが、その堂々とした感じが伝わってきたからなのかもしれないと、この2つの言葉の意味を調べているときにふと思いました。
意味とか経緯は知らないはずなのに、なんとなく感じ取っていた。
そういうとき、知識とか記憶とかを超えた、DNA、もしくは血ってやつが作用しているのかなってときどき思います。もしくは、気配とか。
(「ごめん」の場合は、時代劇で侍が相手を斬り捨てるときに使っているのを観て、気づかないうちに覚えていたのかもしれないけど。)
例えば先日、鹿児島の祖父母の家に行ったときのこと。
祖母のお兄さんのお墓参りをしたときに、なぜかお参りの一連の動作をすごく丁寧にしないといけない気がして、緊張しました。
すると隣で祖母が、
「海軍だったからね、しゃんとしないと怒られるど」
と言ったんです。私は祖母のお兄さんが海軍だったことは知らなかったし、写真も見たことはありませんでした。でも、なんとなくしゃんとしないといけない気がした。霊的なそれとは違います。根拠はないけど。
なんというか、予感したわけです。しゃんとしなければ、と。
もしかしたらDNAとか血とかってやつは、うんと昔のものからここ最近のものまで、地層みたいに重なっていて、それを私たちは、時々作用させて(もしくは作用させられて)いるのかなと思いました。根拠はないけど。
根拠のない話って楽しいな。
今週の質問:子どものころから変わらないもの
笑い方ですかね。
幼い頃の写真を見ても、口を大きく開けて上を向いて笑っています。
そういえばこの前、
鹿児島空港から祖父母の家に母と二人で向かったのですが、その道中、車の中で母がふと「あんたは昔から笑い方がかわいかったんだよ」と言ってくれました。母は運転していたので目は合いませんでしたが、私はそれがとても嬉しかったし恥ずかしかったし驚いたので、「知ってるよ」と言ってしまいました。