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蛇口から葉っぱと猫



思い出が記憶から思い出になる瞬間とは、いつなのでしょうか。現在が過去を刺激して、ふと思い出されたときなのでしょうか。それとも、変に引きずらずに、きちんと過去に置いていくことができたときなのでしょうか。先週に引き続き、思い出についての話です。


今週の半ば、仕事帰りになんとなしに立ち寄った花屋で植物を買いました。こんな時間までやってる花屋があるのかと興味を持ったので、店内を一周して帰るつもりだったんですが、つい目が止まってしまったんです。真っすぐ伸びる姿しか見たことがなかった種類の植物だったのですが、そいつはぐねりと曲がっていて、そのひねくれた感じがなんとも良くて思わず買ってしまいました。鉢も合わせると結構な重さだったのですが、手で持って帰りますと言い、両手で抱えて電車に乗り込みました。

帰宅ラッシュではないはずなのに電車内は混んでいて、香水とアルコールの匂いが混じってる。植物を下に置くと、電車が揺れた拍子に倒れてしまう気がしたので、抱えたまま入口近くに立ちました。人に当たって葉がちぎれていないか、自分の腕で枝を折ってしまっていないか、何度も覗き込みました。

そのとき、小学校低学年の頃に見つけた子猫のことを思い出しました。通学路にある廃れたビジネスホテルの駐車場に、4,5匹まとめて捨てられていたその子猫たちを見つけたのは、近所に住む姉妹と二つ年上の男の子です。私も姉も加わり、それぞれ1匹ずつ名前をつけて、ミルクをあげたり自分の服を段ボールに敷き詰めて寝床を作ってあげたりしました。もちろん、親には内緒です。ビジネスホテルの駐車場は車の出入りが多く危険なため、ある日、私たちは他の場所に移すことにしました。親や知り合いに見つかってはならないので、一人一匹ずつ、ランドセルやショルダーバッグに入れて、子どもなりにカモフラージュした上で移動しました。子猫たちは不安な鳴き声をあげています。私はショルダーバッグを何度も覗き込み、子猫に声をかけました。揺れ過ぎていないか、尻尾や手をどこかに巻き込んでいないか、注意深く何度も観察しながら歩きました。

そのときのことを思い出したのです。似たような動作ではあるものの、意図も背景も全く違う。それでも思い出せるのです。人間って不思議ですね。思い出したということそのものに意義はないかもしれないけど、思い出さなかったよりは、思い出した方がいい気がするんです。それはなぜでしょう。ただただ、嬉しいからなのかもしれません。過去の自分とつながって、軽く挨拶をしたような、そんな気持ちです。その後、猫はどうなったかって? 移動させた後しばらくして、いつものとおり猫たちを見にいくと、跡形もなく消え去っていました。生き延びることができたのか、死んでしまったのかもわかりません。わからないから、すんなり思い出せたのかもしれません。

今週の質問:「今では笑い話ですけどね」な自分にまつわる小話

中学生の頃、大雨の日に川にたくさんの岩を積み、流れを堰き止めて氾濫させてしまいました。

なぜそんなことを提案したのかも、他に誰がいたのかも覚えていないのですが、岩を積むところまでは友達も手伝ってくれました(くれました?)。その後雨がひどくなったのでその子たちは帰ったのですが、なんとか完成させたくて一人残って続けていたんです。やっと完成して感動していたら、近くに住むおじいさんにびっくりするぐらい怒られて、一人ですべての石を退けることになりました。大泣きしました、いや、正直全然泣いていませんでした。興奮していて、全くしょげてなかったです。「元あったところに戻しておけよ!!!」と言われたのですが、どこにあった岩かなんて覚えているわけないので、その辺に散りばめて帰りました。

次の日になってから、自分がしたことの恐ろしさに気づき、その後何年も「思い出すだけで怖くてちびりそうになる記憶」として残っていたのですが、大人になってから他の人のやらかしエピソードをたくさん聞いた結果、今では笑って話せるようになりました。いいえ、ここで初めて話しました。あのときのおじいさん、そして近隣住民の皆さま、ごめんなさい。




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