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持つ者と持たざる者。二分をなくすために。

この世には、持つ者と持たざる者が存在する。
それは、分かりやすいものから分かりにくいものまで。

小学校の時から、リレー、テスト、ムードメーカー、
中高になると、ルッキズム、偏差値、部活、真面目とヤンキー、
社会人になると、売上、達成率、本音と建て前、利権と派閥、一昔前では「正しい」とされた価値観、見えないレール・暗黙の了解、根回しと駆け引き、等、
人生において、常に競争・比較され、それを受けて二分化されている。

二分化して、そして、
勝った・勝っている方の価値観の方を「持つ者」
負けた・負けている方の価値観の方を「持たざる者」
として、線引きを行う。

持つ者。
持つが故の、地位・名誉、華やかさ、カッコよさ、オーラ、芯の強さ、
その裏での権利と責任が、のしかかり、
持つが故の、迷いや葛藤、重圧、自分自身への在り方との線引きと統合、
という双方の側面を手に入れる。

持たざる者。
持たないが故に、守られ、保護される対象にもなるが、
同時に、いじめの標的、矛盾や理不尽、不条理に多く遭遇し、
自分を犠牲にしたり、自分も守れないケースも多くない。

本来、持つ者は、
持たざる者を保護したり、守ったり、教育や指導を行う権利や義務がある。

しかし、その重圧から耐え切れず、
一部は、
力の暴走したり、欲情的になったり、持たざる者を攻撃・否定してしまう。

そして、これをネットニュースや週刊誌で取り上げて、晒し、標的にして、
魔女狩りを行っているのが、今のマスコミやネット社会の大半。

こんな社会は、もう息苦しい。
だからこそ、

持つ者は、
「責任」「義務と権利」を肝に、使う時に使う線引き、在り方の再構築、
影響力を良い方向に使い、社会と自分自身をより良くすることを。

持たざる者は、
嫌悪や嫉妬の目で持つ者で見るのではなく、
持つ者がいてこそ自分がいるという感謝と愚直に吸収するひたむきさ、
自分のためにも、持つ者に成り上がる正しい努力を懸命に行っていることを。

双方が、正しく、良い方向に使えば、社会は良くなり、
結果的に、持つ者と持たざる者という二分する線引きさえいらなくなる。

そうすれば、今よりも生きやすく、今に充実する実感が湧いてくるだろう。

二分を変えるのは、自分自身。
だからこそ、これから、
今自分ができるものを出来る所からやっていき、変えていきましょう。


元々、人を二分する必要もないのだから。







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