人間の生理状態は他人と同期し得る ~腹側迷走神経・ミラーニューロン、PATMなど~ 自分の体験したことを元にした話

更新:2021/1/13
更新:2021/5/7

 私の卒論に向けての研究テーマは無意識下での共感性についてである。共感性というよりも、人間同士での生理状態の同期性についてだ。興味を持ち調べ出すにおいて、自分の身体の具合が変化したことがきっかけとなった。

 きっかけとなった出来事、それは2016年4月頃の私が大学生になった頃から今も続いている。その時期から、お腹や胸の辺りなどに、慢性的に何か塊が有るかような感覚、時にはどこか締め付けられているような感覚を持つようになった。同じ頃、自分の近くにいる人間が咳き込む、首を痙攣させる、などの様々な、一見自然な様で少し奇妙な動きをすることが増えた。後に挙げる様々な理由(目次:「考察」より「咽喉頭異常感症」・「周囲の人の状態や反応とは」)から、この2つのことはリンクしているようだと考え、人間は無意識のうちにどこかしらの生理状態が同期する性質を持っているのではないかと考えるようになった。そして、どのようにそのような現象が起きるのだろう、と興味を持つようになった。

 スピリチュアルな印象、勘違いなのではないか、と言われることもしばしばあり、特に多かったのは「精神的な問題なのでは?気にし過ぎてそのように感じるのでは?」と言うことであった。しかし、そうでは無いと私は考えている。

 勘違いされやすいのだが、その感覚というものはストレスによって生じたものではないと考えている。自らこのような感覚に到達してしまった。普通に過ごしていればこの感覚にはおそらくなりません。この事についても以下に少し詳しく書いた。

 参考書や文献から調べたところ、ミラーニューロンや、コミュニケーションにおいてよく働く腹側迷走神経についてなど様々な、その現象が起こる理由のヒントとなり得る事柄を知ることが出来た。

 考察よりも先に、自分の感じていた感覚についてや周りの人の反応とはどういったものだったのかについての内容を書いたのだが、どうしても少々見苦しいものになってしまったため、あまり見たくないと感じた方は考察やまとめを先にぜひ読んで下さい。

追記(2021/5/7)
 ついに、同じような状態を経験している人たちがいることを発見し、考察に追記しました。つい先日、PATMと呼ばれる疾患を持つ人がいることを知り、自分と同じ問題を抱えて過ごす人たちが存在するということに感激しました。同じようにPATMの現象を体験している方たちにもこのnoteが届いたら幸いです。ですが、考察の方で、現在主に知られているPATMについてとは少し違う意見を述べています。意見や感想お気軽にください。また、PATMという疾患についてこのnoteによってより多くの人に知って頂けたら幸いです。

どのような感覚があるのか

 腹や胸にゴロゴロとした重たい塊が入っているかの様な感覚があるが、それのみならず、様々な感覚が生じる。身体の内側のどこかが全体的に力んでいる状態であると言える。
 感覚を治さず覚え続けることで研究に生かそうと考えていた頃と、治したいと思ったことにより覚え続ける努力を辞めた分の力みが無くなった、感覚を追い出そうとするようになった頃とで、感覚にいくらか変化があった。

具体的にどの様な感覚であったのか。
・力む感覚が生じる部分について
 みぞおちとへその間の部分は張ったような状態になり、引っ掻くと力みが少し和らぐため何度も引っ掻いて黒ずんでしまい、へそのすぐ真上の部分も何度も引っ掻いて皮が剥けてしまった。左か右の下腹にも生じ、元々ある身体のクセのせいか左側に感覚が生じやすかった。肋骨全体が張る感覚になることも時々あり、周りから締め付けられる様な感覚に近かったため、痛みも伴いやすかった。
   感覚を治そうと取り組み始めてからは、腹など身体の下部ではなく、主に胸や喉、他にはみぞおちやその周辺、稀に舌などに生じやすくなった。感覚の位置が上の方に移動した。胸や喉など真ん中ではなく、横(お腹の左側、首の左側など)に感覚が生じる場合、呼吸するときに空気がお腹に入らず胸式呼吸になりやすかった。また、腹式呼吸をしようとお腹に空気を入れるように空気を吸うと、ゴロゴロとした感覚が生じ、ゴロゴロした感覚を感じないようにすると胸式呼吸になる。
・喉の強い痛みと咳
上記までのようなゴロゴロとした塊のような感覚を外に追い出すよう努め、力みが和らいでくると、次は喉にツーンとした異物感を感じて痛み、強く咳き込んでしまうことがよくあった。
・肌の痒み
こちらも、塊のような感覚を外に追い出すように努めると、ツーンとするがじんわりとした、皮膚の内側から刺してくる様なかゆみが生じることがあった。
足首の内側、足の指、腕、顔、目玉かまぶた、などかなり様々な場所に生じたため共通点を見出すのは難しい。 (身体の外側(腕ならば脇の下側の柔らかい方、ではない方)が多かったかもしれないと考えたが、そうとは言い切れない。) 治そうとせずにいた頃は陰部に強いかゆみを感じることがあったが、治すように努め出してからは無くなった、と記憶している。
・物が口の中に入ると、吐き気は無いがオエッとえずくことがある。歯磨きをしている時や食事中に度々起こる。本当に少し吐いてしまったことも稀だがあった。
治ることを目指すようになってからよく生じるようになったものである。
・貧乏ゆすりをよくするようになった。
・朝起きた時の感覚について、
感覚を和らげてから寝た場合、朝起きると下腹あたりが全体的にじんわりと力が入っている状態になる。 あるいは、目覚めて意識が戻ってきた頃に周りからわーっと迫り来るような感覚になり、いずれ普段通りのゴロゴロした感覚に落ち着く。しかしこれは感覚を治さないようにしていた頃についての記憶であり、治そうとし始めてからどのような感覚であったかについては覚えていない。
・授業中などに周りにいる人たちが眠たくなってこない様に気遣い抑え込むと(後にある「周囲の人の状態や反応とは」に記したが、そのゴロゴロとした感覚があると周囲の人達が眠たくなるという反応があるように感じていた)、自分自身に眠気が襲い、私自身が眠るしか逃げ道が無いような状態に陥る。その後目覚めて感覚が蘇ると、必ずと言って良いほど周りに居る誰かしらが咳き込む。
・身体が自然と音楽のリズムに乗って動く、ということが無くなった。
だが、身体の状態が治ることを目指す中で改善し、音楽に自然に身体が乗る感覚をある程度取り戻してきた。
・笑いがこみ上げることが無くなった。
こちらも、治ることを目指す中で、可笑しくて笑うという感覚を取り戻し、ある程度改善された。
・くしゃみをする。
勢いが強い、軽くではなく重みのある?絞り出すような?ものが多いような気がする。しかし、それほど頻度が高い訳ではなく、深い関係は無いかもしれない。また、腹や胸にあるその感覚が少し和らいだ時にくしゃみが出ることが多いような気がするので、その際に刺激があり、くしゃみが出るのかもしれない。
・治す過程で感じた感覚について、ヘソの少し上辺りの部分に力が勝手に入り凹むという状態になることもあった。これは、ゴロゴロとした感覚を得るきっかけとなったと思われる、お腹に無理やり力を入れていた状態というのと、同じような状態である。

以下は稀だったものだが、
・頭が痛くなる。
頑張って表情を作る、相手に聞こえる様に声をしっかり出すようにする、外出中にきちんとよく頭を働かせながら過ごす、を意識すると、いつの間にか、笑うと頭痛くなる、という状態に陥ることがあった。
・鼻が詰まる、締まる感覚
・頭の中がツーンとしたり空気砲でも入ってるような感覚
もあった。これらも感覚を治さないようにしていた頃に体験した感覚であったような気がするが、治ることを目指してからも感じたことがあるような気もして、何とも言えない。

 このような感覚は、ストレスから来たものではないと考えている。私が自ら到達した、作り出した感覚である。高校時代以降、勉強している最中などに何か疑問を感じる時に腹にモヤっとしたものがこみ上げるが、考えを消化しながらそのモヤっとしたものをも消化するかような感覚が好きだった。そのモヤっとした感覚は、何か疑問を持った時にしか感じられないものであったが、その感覚を普段から感じ取れる様になりたいと考えた。腹にわざと力を込めるようになり、最初は苦しかったが、実際に実現した。ある意味でストレスを自分に与えたとは言えるが…。実際に出来上がったその感覚は不快感を覚えるものでは無くむしろ心地良いくらいのものであった。
 なので、普通に過ごしていればこのような感覚になることにはまずならないのではないかと考える。ストレスによって自然とこのようになるとはあまり考えられない。ストレスによって痛くなるのはみぞおちや胃であることが一般的だが、そのような痛みは無い。悩ましさからストレスを感じているような時は、ゴロゴロとした塊のある感覚と胃やみぞおちが痛い感覚の、両方を感じていた。
 (追記:2021/5/7)しかし、大学に入る前の高校時代は、学校の人たちに馴染めておらず、人間関係におけるストレスが多かった。それを踏まえるといわゆるストレスが原因である可能性も否めなくはない。
 治さず研究に生かそうと考えていた頃と治したいと考えて努めるようになった頃とでも、感覚に少しばかり変化があったと感じる。しかし治そうとしていく中で、治すためにはどのような感覚であったのかという記憶そのものを手放すつもりになる必要があると感じた。感覚が未だに慢性的に生じており治らないのだが、それは記憶を手放す覚悟のようなものが出来ていないからだと考えている。そこで、感覚を保有しているうちに残せるものを残しておきたいと考え、このnoteを書こうと思った。感覚を忘れるつもりはでない場合、慢性的に感覚が生じるのではないかと考えている。

私自身の見た目や状態に表れること

・顔色や唇の血色が悪くなった。
 唇の色が土のような色になり、特に周りの人たちになるべく反応されないように塊のような感覚を押し込めている時は、より血色が悪くなった。
 またその身体の状態になる前までは、顔全体がピンク色がかっている時が多かったが、そのようになってからはピンク色がかることはほとんどなく常に白っぽいか黄色っぽい状態である。
・冷え性気味。
手足など末端が冷えやすい。もしかすると身体の芯も冷えがちかもしれない。症状が出る前までは、身体は温まりやすかった。
・ほうれい線の黒い影ができたり、口周り(口角や唇の下)が黒や黄色のような色になる。顔色や唇の血色が悪くなりやすい場面と同じような場面で、より黒っぽくなった。まるでブルドックかカールのおじさん。
・目力が無くなる。
・表情筋があまり働かなくなり、こうなる前までのような頬と口元の上がり方をしなくなった。表情は全体的に堅い。
・声が枯れたり、小さくなったりする。
絞り出すような声、腹から出ない弱々しい声。
あるいは、身体の中にあるゴロゴロとした感覚を和らげとにかくその感覚を感じないようにした上で声を出すと、ガラガラにしわがれる。特に歌う時。(逆に、きちんと綺麗に声を出すようにして歌うと、だんだんとお腹の塊の感覚が強くなってくる)
・左の頬と口角がうまく上がらない。左の口角の横に縦にしわが入る。
この身体の調子になる前から元々そのような感じではあった。この調子になった後はさらに上がりづらくなったが、意識するようにすると上がるようになった。
・くしゃみが時々出るが、そこで緊張が一瞬ほぐれるためか勢いが強く重みのあるくしゃみになりやすい。

周囲の人の状態や反応とは

 私の身体に起こっていることが周りにも表れていると考えられる。

 とは言え、はたから見て明らかに変だ!と誰もが思うほどの影響力ではない。普段より少し咳などをする人が多いが、自然な範囲であろう…と大体の場合は判断される程度なのだと思う。

具体例:
頻度が高く、関係がありそうだと特に感じた反応
・咳き込む。むせる。
時々本当に吐きそうな勢いになる人もよくいる。怖い。
外で歩いている時でさえ、そちらを向くとそこにいる人が咳き込むことが多い。
そばにいる人が、ここの空気が埃っぽい、と話す場面もよくあった。
・声が枯れる。
・首から上を、私とは反対の方に向かってブンと振る。または激しく震え上がるかのような反応をする。これは初期に多かった反応であるが、今も時々見かける。

頻度が高く、関係がありそうだと感じた反応
・舌打ちする。
感覚がそのような状態になった初期に多かった。
・貧乏ゆすり。
授業中、2~3つ前の席の人が、私が教室前にあるホワイトボードを見るために顔を上げるたびに貧乏ゆすりをするということもあった。
・泣きそうで詰まったような苦しそうな声や、ハキハキしているもののか弱く震えた声になる。確か初期に多かったと記憶している。
・大きなため息をつく。
・眠くなる。めっちゃ眠い!疲れた!という発言が多い。
・人が集まっているその場全体がどこか静かになり、暗くなる。
・音楽に乗らなくなる。
・ネガティブな発言をし出す。
・大きな声で笑わなくなる。
・目を合わせてもらえない。
・走ってる人が私の近くに来たら急に走るの辞める。
・ぼそっと「ごめんなさい」と言う。
・左の口角が上がっていない顔をする。
・このような感覚を感じるようになってからするようになった自分の表情(例えば、広角の上がらない笑い方や、目の力が無くなったかのような細まり方など)に、似た表情を、話し相手がすることも多かった。
・自分の周りから人が離れがち。電車やバスのような公共の場など様々な場所で、自分の周りにいる人がいつのまにか少なくなっているように感じることが多かった。

頻度はそれほど高くないが、関係がありそうだと感じた反応
・お腹が痛くなる。
・激しく瞬きをする。
・目をぎゅっと閉じる。
・グリっと目玉を外に動かす。
・しきりに顔を擦る(拭う)。
・ほうれい線が出来る
・寒がる
体の表面の感覚を刺激するせいなのではないか?と思う。冬に時々見かけたと記憶している。しかし、あまり関係が無いかもしれない。
・鼻をすする。
・くしゃみをする。
勢いが強い、軽くではなく重みのある?絞り出すような?ものが多い。
または、人、特に家族と話すと私自身もくしゃみが出ることが多いようだと、最近少し思うようになった。ゴロゴロとした感覚とは関係なく、人間の存在自体が迷走神経などに刺激を与える可能性も少し考えられるかもしれないと思っている。
鼻すすりやくしゃみの反応は、自分の力んだ感覚を治すように試み始めてからかなり経った頃に多くなったように感じる。

 咳き込んだり声が枯れたりする反応に関しては特に、私の感じている感覚との共通点を分かりやすく感じ、私の持つ感覚によって生じる状態の何かしらが移ったのではないかと考えられる。

・反応しやすいかどうかや、どのような時にどのような反応をするのかには、個人差があると感じている。
 例えば、少し小太りで大柄な印象の男性は、私がかなり距離のある場所からでもそちら側を向くだけで大きめの音で咳をする人が多く、ハキハキとした雰囲気の女性は、会話をするとキーンとして濁った大きめの咳払いをすることが多く、周りに気を配る優しいタイプの男性は、反応をする頻度が高くよく咳などをするがあまり勢いの強い反応では無い、といったような特徴の傾向があるが、総じて社交的な人や周囲の人に対する意識の強い人が反応しやすいようである。

・私に対して興味を示して話を聞いてくれる人ほど、反応をしやすいと感じる。また、意識がこちらに向いた瞬間に咳をした人も多かったと感じている。例えば外出中、私が何か少し目立つ行動をした後にそばにいる人が咳をし、それによってその人が一瞬意識をこちらに向けたのだと分かる、ということが幾度もあった。

・緊張具合が高いほど反応しやすい。圧迫感を発散してリラックスしてしまっている時は周りへの影響も強かったと感じている。治そうとして緊張具合が緩くなってきた頃は、それほど周りへの影響は見られなかった。

・ 直接会うわけではない電話での会話でも、相手の方が咳き込む、声を枯らす、お腹が痛いと言い出すことが幾度もあった。また、直接会わないけれど互いの姿を見るテレビ電話を、このような状態になった初期の頃にしたことがあるが、その時の相手は首をぶるぶると振る反応と咳をする反応をしていた。

・同じ空間にいなくても反応が起こるようだ。例えば、父は私の部屋の通りすがりに咳をすることがよくあり、私が起床してその感覚が蘇ってきた頃に母が咳をすることはしょっちゅうである。部屋の窓の外を通り過ぎる誰かが通りすがりに咳をすることもあった。私が自分の部屋にいて家族はリビングにいる場合にも、私の持っている感覚に対する反応であろう咳を家族がしているのを何度も聞いた。

・ 自分の持っている感覚について忘れている時は、その感覚を感じていない。ふと思い出して、何も周りの人反応していないな、などと考えるが、すぐに感覚が蘇り、咳き込む声が2,3人くらい聞こえる。

・2016年の4月から感覚が生じ出したのだが、夏頃までは、首を振る、静かになる、舌打ちが多かったが、後期は、首を振る反応は減り咳をする反応が増えたと感じた。
この現象に気がついてすぐの頃は、顔を上げることを躊躇するようになったが、感覚を保有している時点でどうしようもないと気が付き割り切ってからは顔を上げるようになった。そのように、感覚と現象に対して自分が慣れていくうちに、感覚の具合や状態にも少し変化があったのではないか。

・ 周りの人たちに、自分のその圧迫感を周りに発しないかのように抑え込むようにしていると、周りの人間への影響は弱まるが(完全にではない)、それをやめると一気に周りの人間たちが咳き込み出すことがよくある。


AimerさんのI beg youという曲のMVだが、
3:45くらいからの、この黒いビデオテープみたいに感覚が自分にまとわりついている感覚や、黒いの潰したら周りの兎の方に飛んで行く様子が、自分の状態にすごく似ていると感じた。


考察

○ミラーニューロン

まず、現在数々の研究が行われ続けているミラーニューロンである。ミラーニューロンとは、他人の行動を観察すると、まるで自分が行動しているかのようにニューロンが活動することを指す。ヒトにおいては、前運動野と下頭頂葉においてミラーニューロンと一致した脳の活動が観測されている。

画像1

(画像参照:http://www.nise.go.jp/cms/6,4932,13,257.html)

ミラーニューロンに関して、視覚や聴覚を通じて起こる同調現象についての研究は、これまでも数々行われている。

しかし、今回私が経験した、他人に私の身体感覚の状態が移る現象は、私がそばにいることさえ認識していない人にも生じたと感じた。

そこで、ミラーニューロンは、視覚や聴覚で認知できない部分でも働いているのではないか、と考えた。そばに人がいることを認知すらしていない状態でさえも、ヒト同士は同調する性質があるのかもしれない。

○腹側迷走神経

 さらに、私が観測したその現象が主に生じた喉や腹などの部位のほとんどは、「社会交流システム」と総称される神経に関係している。そこで、社会交流システムまたはそれと関連する部位においてミラーニューロンが生じる性質があるのではないか、と考えた。

 「社会交流システム」は、顔と頭の横紋筋を制御する神経経路を総称したものであり、有髄神経である腹側迷走神経、三叉神経、顔面神経、舌咽神経、副神経が含まれる。(http://natural-clinic.jp/blog/2019/02/12/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%A4%E6%B5%81%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%B3%BBsocial-engagement-system/) この社会交流システムは、コミュニケーションにおいて強く活動し、他者との交流を深める際に声や表情を使って相手に安全を伝え、相手の防衛本能を抑制する働きをする。
 この「社会交流システム」を主に支配しているのが腹側迷走神経であり、これが働かなければ社会交流システムは機能せず、コミュニケーションを取ることが困難になる。(ステファン・w・ポージェス, ポリヴェーガル理論入門, 春秋社, 2018年, P25~P30)

 交感神経と腹側迷走神経の働きは拮抗しており、交感神経優位になると腹側迷走神経の働きは弱まる。すると、顔の上の筋肉が緩み、口元の筋肉が緊張し、「安全である」という合図を出すことも受け取ることも出来ない。また、歌うなどで発声をすることによって「社会交流システム」を構成する神経に刺激を与えると、社会交流システムは活性化する。(ステファン・w・ポージェス, ポリヴェーガル理論入門, 春秋社, 2018年, P25~P30)

 私自身の見た目や状態に表れることの部分に書いたように、目元の筋肉が緩み目力が無くなり、表情筋の動きが乏しくなったことから、私がその感覚を持ったの状態でいる時は交感神経優位になり副交感神経である迷走神経の働きは弱まっていたのだと考えた。
 また、自分の体験から、歌う人には私の感覚の状態がうつりやすいように感じていた。そのため、迷走神経や社会交流システムがより働いている時にほど、それらに関連している部位において他人と同期する面があるのかもしれないと考えた。コミュニケーションと関連性の高い神経であることからも、他人と同期する仕組みがあるのかもしれない。
 神経全体的には異常をきたしていない上で腹側迷走神経などに近い部分の筋肉に不自然とも言えるような力のかかり方をしていて、その不自然な力のかかり方が他人に移ると、その人にはその一瞬受け取った不自然な力のかかり方への反応として咳などの症状が出るのではないか。

 また、解剖の本により、迷走神経の運動神経(入力側)の状態が移ると言える可能性があるのではないかと考えた。


○自律神経の同期

私が、自身が感じた現象の要因として最初に予想し、卒論においての研究テーマに設定したものである。

視覚的に観察し合う者同士で、呼吸や心拍の同期が生じ、仲の良い者同士であったり、接触があると、よりシンクロ具合が強くなる。(P. Goldstein, I. Weissman-Fogel, and S. G. Shamay-Tsoory, “The role of touch in regulating inter-partner physiological coupling during empathy for pain,” Sci. Rep., vol. 7, no. 1, pp. 1–12, 2017.)

また、相手の様子を視覚的に観察していなくても、そばに居る者同士は心拍が変動するタイミングが同期してくると言われている。(Y. Golland, Y. Arzouan, and N. Levit-Binnun, “The mere Co-presence: Synchronization of autonomic signals and emotional responses across Co-present individuals not engaged in direct interaction,” PLoS One, vol. 10, no. 5, pp. 1–13, 2015.)

また、心拍変動や呼吸は迷走神経の活動の影響を受けやすいことから、その研究で明らかにされた同期は腹側迷走神経の同期を示していると考えられるのではないか。

○脳波の同期

日本の生理学研究所の定藤規弘教授らの研究により、アイコンタクトしている人同士は似たような脳の活動を示すことが判明し、アイコンタクトすることでお互いの脳が同期することが分かった。
プリンストン大学の神経科学者ウリ・ハッソン博士は、1人の被験者が物語を読み上げ、それを録音したものをもう1人の被験者に聞かせ、2人の脳の活動を調べた。その結果、聞き手の脳は物語を聞いているうちに、読み手の脳と同じ活動を示すようになった。
(https://www.scientificamerican.com/article/hyperscans-show-how-brains-sync-as-people-interact/)

また、オキシトシンの被験者への投入によって、より脳の同期が高まることも知られている。(Y. Mu, C. Guo, and S. Han, “Oxytocin enhances inter-brain synchrony during social coordination in male adults,” Soc. Cogn. Affect. Neurosci., no. July, p. nsw106, 2016.)

○咽喉頭異常感症

 咽喉頭異常感症とは、「のどがつかえる」「しめつけられる」「何かできている」など、さまざまな言葉で表わされるのどの違和感、異常感覚のことである。検査をしても特に異常が見られないことが特徴である。症状が生じる原因として、不安神経症、うつ病など心因的なもの(病気)が関係している場合もある。(https://doctorsfile.jp/medication/19/)(https://www.tsumura.co.jp/kampo/nayami/inkoutou01.html)

 しかし、咽喉頭異常感症の患者が、他人に移るといったことを訴えている例を見たことがない。(追記(2021/5/7):PATMの一部の方にはその例があるようだ。)

 自分の感じる感覚は、自ら意識的に力んだ感覚を作ったことにより生じたものであると考えており、多くの咽喉頭異常感症の患者の自律神経の乱れにより無意識に生じた感覚とは少し違いがあるのではないか。また、同じように慢性的な感覚ではあるが、自分の いわゆる咽喉頭異常感症では周りに移る事例は無いが、私の状態では周りに移ることがある、と言う違いはこの点によるのかもしれないと考えた。

○統合失調症の患者の話

参考:「自分が『菌』を播いて他人に咳をさせてしまう」と訴える1例
精神医学・28(3);259-265, 1986
 ここで患者として登場する方の話が、私が感じたことといくらか似ている部分がある。
 患者は、頭から耳にかけて流れ出るような感覚がありそこから菌が出てしまうと話す。そしてその菌が撒き散らされることにより周りの人が咳をするが、自分が上を向いたり咳をしたりすると周りの人の咳は軽くなる、と話す。患者は自身は鼻あるいは耳の病気であり耳鼻科の病気であり精神科ではないと言う。

 この資料の中で執筆者は、患者について「自己漏洩症候群」の一種であると考察している。

 自分が他者に対して何か影響を与える「自己視線恐怖」「自己臭恐怖」などの「自己漏洩症候群」が成立するまでの体験構造
1)「何かが自分から出る」という体験が存在すること
2)「それが面前する他者に影響を及ぼす」という対人性のあること(また、その結果他者から蔑まれ忌避される、と確信する)
3)それを、その他者の行動から直感的に知る、という関係妄想性を持つこと
とされている。

 このような、成り立つまでの体験構造、に自分の経験を組み込んで考えれば、私も自己漏洩症候群の体験構造を有していると言える。

 それでもやはり、私自身の症状と周りの人に及ぼす影響に対する認識は妄想の範囲ではないと私は思っている。(とは言え、明らかな確証を持ってそのように示すことが出来ないことは事実だ。)
・顔を上げると周囲の人たちが静かになり話すのをやめる現象に気が付いたのが始まりだった。最初は、それらは特に自分とは関係が無く起こっていると考えたが、何度も見かけるため明らかに変であると感じたことで気がついた。そのためやはり妄想では無いと考えている。その時から顔を上げることが怖いと感じるようになり、外出中、特に所属するコミュニティの中に居る時は自分の中の圧迫感を発散させないように俯き加減でいるようにすることが増えた。
・その後、周囲の人の首を痙攣させる動き、周りの人達が咳をする現象という順番で気がついたが、周りの人たちの雰囲気が暗くなる現象に気が付いた後なため、周りの人の動きに敏感になってしまったが故の妄想である可能性があるのかもしれない。しかし、首を痙攣させるというそれまで見たことの無かった人間の動きを、何度も見かけたため、やはり自分の保有している感覚が影響を及ぼしていそうだと考えた。
・咳の現象について、その自分の中の圧迫感を発散させないように努め俯いていると周囲の人々の咳は止まり、発散させリラックスすると誰かが咳をし始める、ということが何度もあったため、これについても自分の保有している感覚が影響を及ぼしているようだと考えた。
・コンサート現場における体験は、その現象が現実であることをかなり明確に表していたと感じている。コンサートなどの観客として参加すると、だいたいいつも演者の様子は普段と違った。少し老けたような表情、声が一瞬でも枯れることはほとんど毎回であった。ゴロゴロとした感覚が発散されないように堪えるかのようにしている時は、声が時々枯れる程度に収まるが、どうしてもその感覚を維持できず圧迫感を勢いよく発散してしまう状態になることもあり、その場合は最終的に演者はかなり苦しそうな様子になる、露骨に観客に疲れた様子を見せることはもちろん無いが。しかし、どちらでも無いニュートラルな緊張の少ない感覚でいた場合もいつも演者には何かしらの反応が見えたと記憶しているが、エピソードを思い出すことが出来ない。また、コンサートにおける演者に影響が及ぼされやすいのは、発声をすることで腹側迷走神経の働きが強まることと観客とのコミュニケーションを図る状態にあることが理由ではないかと考えている。
・私が大学の授業の最初10分間に遅れることになったため、10分の間友達に教室内で咳が聞こえた回数をカウントしてもらった。その後私が教室に入ってから自分で周りの人の咳の回数をカウントしたところ、頻度は圧倒的に私が入ってからの方が増えた。数値で見える形で示すことが出来たものの、数えた人物がそれぞれ違うため信憑性は少し下がってしまうことも含め、客観的に示すにふさわしいとは言えない。また、私がそのような身体の状態になる以前に、周りにいるヒトがどの頻度で咳をするのか数えたことももちろん無い。
・感覚的な話ではあるが、とにかくそれまでとは違う!と感じる。そばにいるヒトの咳やくしゃみのし方、話してる相手が声を枯らし出す様子、首や体を痙攣させる動き、などその他様々な反応についてnoteの最初の方に書いたが、何もかもが尋常では無く恐ろしく、普通ではないのではないかと感じている。しかし、症状が出るまで、自分の周りの人間のする咳に対して意識をあまりしたことが無かっただけである可能性も無きにしもあらずである。とは言え、治そうと試みる中で自分の感覚の緊張感が減ってくると周りへの影響も弱まったと思ったため、やはり間違っていないと思っている。

 両親について最初の半年間程は現象を見かけなかったことについては少し今も不思議に感じてはいる。だが、半年経った頃くらいから微細ながらの反応が見え、ついに親にも反応が生じた…と思って落ち込んだ。今は、両親ともある程度に反応が見られる。両親はそれほど気を使い合う関係ではないことも理由の1つとして挙げられるかもしれない。また、症状が始まってから、その感覚や周りのする反応などが自分の身体に染み付くまでにも、感覚は少なからず変化した可能性が考えられ、それによるものでもあるかもしれないと考えている。
 ゴロゴロとした感覚そのものの影響は無く、それが圧迫感を伴って勢いよく出て行くかの様な感覚の時の緊張した状態や、その塊の感覚を無理にでも追い出すかの様な感覚の時の状態、その感覚を忘れないようにするためにさらに加わった圧迫感など、ゴロゴロとした感覚に加えて強い力がかかっている状態が他人に移り他人への影響を作るということが言える可能性も考えられるかもしれない。しかし、ゴロゴロとした感覚はあるがそれに加えた緊張は無いニュートラルな状態でも、やはり周囲に移る影響は薄まったとは言え全く無くなってはいないのだと思った出来事があったと記憶しているのだが思い出すことが出来ない。身体の状態を治そうと思ってからも治らなかったため周囲の咳が聞こえると落ち込むようになり、外出中は常にイヤホンをして音楽を流し周囲の音を聞かないようにしていたため、ニュートラルな状態でのエピソードの記憶自体が少ない。

 このように、いくら「気のせい」ではないと考える理由を述べたところで主観の域を超えることは出来ないというものの、私の症状により周りの人に影響を及ぼす現象は現実的であるということが第一予想であることには変わりなく、やはり確信的にそう思っている。特に、最初に気がついた時のエピソードはほぼ確証的と示せるものだと個人的には考える。

 ところで、心療内科や神経内科にもかかってみたが、特に病気であるという診断をされなかった。交感神経の活性化を少し抑える薬を処方され、それを飲むことで力みは和らいだが、完全に無くなることはなく、周りに移る現象も消えないと感じた。

 ここまで語ってきたが、一番語るのに効果的なのは、症状が治ってから、周りの反応が無くなったり、人の集団の中に入って違和感を感じなくなったり、コンサートなどに行っても演者の様子がおかしくならないかどうかを確かめることであると考えている。

○PATM

追記(2021/5/7)

 PATM(People are Allergic To Me)とは、一緒にいる自分以外の人がくしゃみやのどの違和感を訴え、まるで自分がアレルゲン(アレルギー症状を引き起こす原因)のようになって周囲の人に影響を及ぼす症状である。上記の統合失調症で紹介した症例も、PATMに分類されると言える。
 海外では少しずつ一般にも知られてきているが、日本ではまだまだ認知度は低い。周りの人に相談しても「気のせいだ」とあしらわれたり、病院で話せば心療内科にて精神の病だと診断されるなど、まともに取り合ってもらえないことも多く、そのような場面に遭遇してより傷つき精神的に追い込まれることが多い症状である。
 原因については色々と議論されているが、一番可能性のある原因としては身体のデトックス機能のひとつとして体表面から特定の物質(トルエンなど)が分泌され、それが空気中に拡散することによって敏感な人が感知し、アレルギー症状のようなものを起こすのではないかと思われていると言う。関根嘉香教授による論文において、PATMの人において特定の物質の放出量がそうでない人に比べて有意に多かったという結果が出ており、また幾つかの病院では、疾患を訴える人の体内から放出される物質の検査も行われている。

 自分と同じような悩みを抱える人が存在することを知り、それまでは共感し合える人には出会えなさそうだと思っていたので、とても感動しました。たまたま「周りの人 咳」と検索してみたらトップからきちんとPATMについてが表示された。自分自身の現象について研究を始めようとしてたくさん調べ物をしていた頃には既にダイヤモンド社による記事が出ていたのに、3年間も全く気付かなかったことにも驚いている。

 しかし、物質が分泌しそれが拡散されるという説について私はどちらかというと懐疑的な立場だ。私の場合は、画面越しや電話越しでも起こると感じ、壁越しでも起こりうると感じているため、物質の放出である可能性は低いのでは無いかと考えている。Twitterなどを探ったところ、同じような点から物質説に疑問を抱いている人は何人もいた。
 私自身の身体からもPATM特有の物質を放出している可能性はあると考えるが、身体から放たれる物質はPATMの現象を生む直接の原因では無いのではないか、あるいは少なくとも私が観測したものについては私の身体から分泌された物質によるものでは無いのだと個人的には推測している。

 また、自分の感覚状態には特に違和感を感じていない人が多くいることにも驚いた。
 だが、5ちゃんねるなどを探ったところ、自分自身が緊張すると喉がイガイガしたり目が充血したりする人もある程度いるようだ。私と同じように咽喉頭異常感症のような状態も伴っている人も見かけた。上咽頭炎や副鼻腔炎、口腔感異常症など、鼻や口、胸にかけての感覚の異常を感じている人もある程度いるようだ。
 PATMを訴える人には、人間関係においての辛い経験をしたことのある人が多いように見受けた。私自身も、高校時代はクラスメイトに溶け込めず浮いた存在として過ごしており、学校内の人と気軽に話すことはできず、その状態を恥ずかしいと思っていたためか居ても立っても居られない感覚の時も多く、学校はとても居づらくてしんどい場所であった。人はストレスが強まると、人との繋がりによって解決しようとし、人と繋がることで腹側迷走神経が優位になりリラックスした状態をもたらす。しかし、人と繋がることによって解決することができないと交感神経が優位になる。人間関係において辛い思いをすることで社会交流システムを働かせる機会が少なくなることが大きなポイントなのではないかと考える。腹側迷走神経が優位になってリラックスすることが出来ない状況というものはそれだけ大きなストレスを抱えた状態であると言えるのではないか。交感神経が優位な状態が続き、社会交流システムにまつわる部位の力みをもたらされた人が多い可能性も考えられるのではないか。
 よって、PATMの現象の直接の原因は物質の放出ではなく、自分自身の社会交流システムに近い部位の緊張感、もしくはPATM特有の緊張感が直接の原因であるという説を私は考えた。または、特有の物質の放出によってPATMの現象を引き起こされているタイプの人もいるが、一方で、私の場合と似たような、特有の、喉や胸など社会交流システムに近い部位の緊張感が原因でPATMの現象を生じているタイプの人もある程度いるということかもしれない。

まとめ

 先行研究で、近くにいるヒトと心拍変動が同期することが示唆されたが、心拍変動は迷走神経の活動の影響を受けやすいことから(ポリヴェーガル理論)、その研究で明らかにされた同期は腹側迷走神経の同期を表しているのではないか。ヒト同士の腹側迷走神経の活動は同期する、と言えるのかもしれないと考えた。
 また、腹側迷走神経の同期はミラーニューロンの一種と言えるかもしれない。ミラーニューロンや腹側迷走神経、呼吸や心拍、脳波の同期は、全て関連性があり繋がっている可能性も考えられる。
 さらに、自分の体験したことから、ヒト同士の腹側迷走神経の活動が同期する現象は、視覚や聴覚を通じず他人の存在を認識すらしていなくても生じる。視覚や聴覚を通じなくても他人の様子に関する情報を捉える機能が、ヒトに備わっている可能性が考えられる。それは腹側迷走神経に存在するのかもしれない。
 私の体験した症状は咽喉頭異常感症に分類されると考えている。しかし、咽喉頭異常感症の患者が、他人に状態が移るといったことを訴えている例を私以外に見たことがない。私と他の多くの咽喉頭異常感症の患者との違いの1つは、意識的に力を込めているのかそうではないのかであると考える。そのことから、意識的に迷走神経が関連する部分を動かす行為において他のヒトとの同期が生じる可能性を考えた。または、私の場合は自然にしていると喉ではなく胸に物がある感覚であるため、多くの咽喉頭異常感症の人の感じる感覚とは少し違っているのかもしれず、周りに移る現象が起こるか起こらないかの違いはこのことによるのかもしれないとも考えた。
 神経全体的には異常をきたしていない上で腹側迷走神経などに近い部分の筋肉に不自然とも言えるような力のかかり方をしていて、その不自然な力のかかり方が他人に移ると、その人にはその一瞬受け取った不自然な力のかかり方への反応として咳などの症状が出るのではないか。

 このように私が考察したことは、あくびが移る現象や、コミュニケーションを取ると相手と仕草や表情が似る現象などとの関連性も考えられる。長年一緒にいる夫婦や友達、好意的に思う人に表情や仕草が似ることは知られており、その仕組みにはミラーニューロンが関係するという説が唱えられている。さらに、表情や発声と関係する腹側迷走神経の同期によって、相手と仕草や表情、話し方などが似るようになるのではないかと私は考えた。


最後に

 気がついた当初は、これは面白い!絶対に自分はすごい発見をした!と思っていた。その自分に起こったことを科学的に説明するために、患った感覚を研究に生かすために治さず保有し続け、大切にしていた様々な物事を手放してでも研究を行う価値があると考えていた。すごい発見をしたので名誉になるものだと思っていたが、特に褒められることも無くて悔しい思いをした。研究成果を出していないのだから当たり前だが、、。しかし、成果を出したとしても思っているほどの評価は得られないのであろうという気がした。研究の道は険しい。このような身体状態は読み物すら体力と時間をかなり使うため、なかなか進まない。また、そもそも解明すること自体が難しく仮に一生かけて研究しても解明には至らない可能性も大きい。そのため、様々なものを手放してまで追究する価値を感じられなくなった。また、健康であった状態に戻りたいと思い身体の状態を治そうと努めたが、そのためには患った感覚の記憶そのものを手放すつもりになることはもちろん、研究しようとすること自体をも辞める必要があるかもしれないと感じた。しかし、まだ感覚を保有しているうちにやれることをしなければ患った約5年間が勿体無い気がした。そこで、感覚を保有しているうちに残せるものを残しておきたいと考え、このnoteを書くことにした。

 というのはめちゃくちゃ余談で。

 感覚の記憶を無くさなければ発見できるかもしれなかったことを発見できなくなるのだとしても、患ったものから解放されて健康で不自由の無かった状態に戻りたいと思う。患った感覚から参考にすることは、このnoteを書き終えるまでに分かったことまでとすることにした。

 視覚を通じた他人同士の同調現象についての研究は増えつつあるが、視覚を通さない部分での同調現象についての研究はまだ少ない方である。今回調べていく中で「人間は無意識下で腹側迷走神経やそれに関連するどこかしらの部分が同期し合う性質があり、相手がそばにいることを認識していなくても起こり得て、社交性の強い人間ほど同期しやすい」という仮説、予想が出来上がった。今回調べていくうちに出てきた、腹側迷走神経やミラーニューロンなどのキーワードが、自分に起きた現象を科学的に説明するヒントとなり得たら嬉しいと考えている。目を通して下さった人達に心から感謝致します。

追記(2021/5/7)
 私は、この周りの人に咳などを生じさせる現象全般において、そのような気がしてしまうからこそ生じたり悪化したりする面もあるのかもしれないと思っている。そうなのではないかと思うことでそのようなことを引き起こす身体の状態が出来上がってしまう面もあるのかもしれない。そのため、そのようなことは起こらない大丈夫、一旦自分は普通であるつもりになることで改善される可能性もあるのではないか。もうおもしろ発見なんてしなくて良いので普通の人のように生活したい。

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