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#101 「12回不合格でも前を向いた先で得たものは生きる武器となる自信だった」

受験には合格か不合格かしかない。

成績が伸びたからとか、人として成長できたからとか、一緒に戦う友人ができたから不合格でもよかった。
そう思う受験生はほとんどいない。

受かるか受からないか。
天国か地獄か。

この二択しかないのだ。

僕はこの地獄の底に12回叩きつけられた。
3浪目からは後がなくなり私立も受け始めたためこの回数となった。
受かっていた場合、実家を売り払い奨学金に頼るという身を削る策を親が考えてくれていたのだ。

不幸自慢ではなく、僕がそこで感じたことをありのまま書いてみようと思う。

現役時代僕は10月の国体までテニスをしており、テニスでの推薦も決まっていた。

そんな中テニスに対して満足している自分の気持ちに正直になり、全く違うフィールドである医学部を目指すことにした。

ここから僕は薔薇も薔薇すぎる道を進むことになる。

正直なところ現役、1浪、2浪目と浪人の年数が上がるごとに勉強量も成績も上がっていたがあまりにも3,4浪目が苦しすぎて記憶がないのだ。

覚えていることと言えば、寮に住んでいた友人が僕を残して皆志望する医学部や旧帝大に進学して行ったことくらいだ。

僕は生きていてこれほどまでに劣等感を抱いたことはなかった。

もちろんテニスもずっとチャンピオンだったわけではないし、苦しい時期の方が大きかった。
それでも認められていると感じるシーンが多々あったり、自分のテニスに対して誇りを持てていた。

だから苦しくても自分自身を見失うことはあまりなかった。

ところが浪人の年数を重ねていき3浪目に入る時あることにふと気づいてしまった。

全く自分に期待しなくなってしまっている。

1浪2浪目は息巻いていた。
きっと過信していたのだと思う。

あれほどテニス三昧だった僕が医学部に入れたら、こりゃ凄いことだと。
そしてそれが自分ならできると。

その気持ちは見事に砕け散っていた。

現に3浪目のスタート時僕は地方の国立大医学部の判定はAかBしかなかった。
受かる!受かるぞ!
と思った次の瞬間、心の中に巣くった嫌な自分がこう言ってきたのだ。

「またどうせお前だけ落ちるんじゃないか?」

自分に対しての自信のなさ故だろう。
不安と劣等感の塊だった。

受かりたいと言うよりも
「早く終わってくれ、早く逃げ出したい」
この気持ちが大きかった。

結局この年一点差で不合格となり4浪目が確定した。
もしかしたらと期待していた部分もあったから、反動で何も考えられなかった。

思ったことは

「ほらみろやっぱり僕は不出来じゃないか」

「やめたら楽だろうな。
やめてしまおうかな。
自分の人生なのだから、ここでやめても誰にも何も言われる筋合いはない。」

そう本当に思ったこともあった。
以前の自分では考えられないほどに精神的に疲弊していた。

親もなんて声をかけたらいいのかわからなかったのだと思う。
咎められることはなかったし、普通に接してくれていた。
だからこそ僕は余計申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

僕の人生なのは間違いないが、僕の人生に関与している人もたくさんいる。

僕が逃げ出したことで、ざまあみろと思う人もいれば、悲しいと思う人もいるだろう。

現に僕の浪人のお金は両親が払ってくれていたし、おばあちゃんおじいちゃんも援助してくれていたと思う。
さらには兄やテニスでお世話になっていた人など、僕が合格するのを心待ちにしてくれている人がいた。

逃げ出すことは簡単だったけど、僕にはそうしたくないと思わせる理由があったのだ。

何回も落ちることは当時の僕にとっては恥ずかしかったし、何も社会に還元しない存在だと思っていた。

このまま不合格だったら、僕に関与してくれた人の気持ちを踏みにじることになる。

ここで逃げ出したら、もう何にもチャレンジできなくなる。
あと60年、70年ずっと悔いたまま生きることになる。

鎮火していた闘争心に火が再点火したのはこの時だったと思う。

当然不安は尽きなかったし、成績が上がれば上がるほど僕はプレッシャーを感じていた。

それでも劣等感や不安を上回って合格したいと言う気持ちがあった。
上にも書いたような逃げ出したい気持ちもなかったわけではない。

4浪目にしてようやく合格したい気持ちが戻ってきてくれたのだ。

がむしゃらになって勉強する。
どれほど模試で悪かろうが、受かるまで戦い抜く。

一番苦しい時に僕は一番明確になりたい自分を思い描くことができた。

事実、センター試験前の模試では4浪目で一番悪い点数を取ってしまった。
今までA判定B判定だったものがC,D中にはE判定もあった。

当然ショックはショックだが切り替えが早かったと思う。

以前だったら、弱い自分が顔出して
「きっとダメなんじゃないか、もう無理なんじゃないか」
など思っても仕方ないことに時間を使ってしまっていたかもしれないが、
4浪目の僕はもう覚悟を決めていた。

受かるまでやる。
それ以外に選択肢はない。

決断するとは退路を立つことだとも思っている。
逃げ道を用意しておくことも大事かもしれないが、目標をつかむ瞬間はそれだけ見るのが大切なのだとこの経験から僕は学んだ。

結果として、この年医学部に合格した。

正直試験後は落ちたと思っていたので、驚きの方が大きかった。
入学して成績開示して気付いたのだが、僕は末席での合格。
あと1点でも低ければきっと不合格だっただろう。

そんなものいないと思われるかもしれないが、受験の神様が最後の最後手を貸してくれた気がした。

たった1人なら、途中でくじけていたのかもしれない。
僕は両親含め周りで応援してくれた人に恵まれていたと思う。

恵まれているからにはそれに応えるのは義務である。

試験日の日記にはこう記していた。

僕はかなり遠回りしたが、この義務は果たせたと思う。

すんなり行ってたら、自分のことを過信したままのとんだ勘違い野郎になっていたかもしれない。

回り道してたどり着いた果てに得た自信は、この先の自分を支えるものになったと確信している。

苦境こそが僕を逞しくした。

そう胸を張って言える自分を今は誇らしく思う。


自分がここまで変われたのも成長できたのも、1人では到底無理だったと思っている。

noteで全てを書くのは難しいし、恥ずかしさもあったけどこれを読んでくれた人の中に1人でも勇気付けられた人がいたら嬉しい。


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