#81 僕は自分で見た世界しか信じない
昨日の記事では、期待値を低くしてでも新しい交流に参加しようという内容で書いたが、その背景として僕は又聞きの話が頭に残らないことがある。
へ〜そうなんだ。
と聞きつつも、もしかしたらそうかもしれないけれど本当はどうなんだろう??
もしかしたら、その人にとってはそうであって僕にとっては違うかもしれない。
自分で見てから判断しよう。
僕の判断の軸は常に自分だ。
だからその結果生じた出来事に反省はあっても後悔することは少ない。
予備校に通っていた時の英語の恩師の話を書く。
その先生は直接授業してもらっていなかったが、教室の一番後ろに座っている生徒でも当たるくらい生徒に当てまくる先生だった。
答えれるまでジーーーっと見つめられる。
多くの生徒にとっていい先生ではなかったのだと思う。
講師室でも質問責めにあう先生は、ザ・予備校講師のような先生で僕の恩師に質問に行く人はコアな生徒だけだった。
前評判はすこぶる悪かったし、質問しに行って生半可な質問していると呆れた顔をされるとのことだった。
でも、もしかしたらあまりの怖さに自分でめちゃくちゃ考えるかもしれない。
質問のレベルの低さにドン引きされるかもしれないけど、いいや行ってみよう。
度胸だけは当時も健在だったので質問しに行って見たのを覚えている。
質問しに行ってみて気づいたのだが、その先生に質問に行くのは東大京大志望の猛者達で僕よりも頭2個ほど上の生徒ばかりだった。
僕が真剣に質問をしたら真剣に答えてくれた。
これが思い切って行ったみた結果だった。
生半可な質問や、答え欲しさに考えずに行くと見透かされていて痛いところをつかれる質問をされたりもした。
考える力がつかなければ受験を突破できないが、考える力がないことをまざまざと知ることになってしまうのでこの先生のところに質問に行く人は限られていただ。
僕は他の生徒よりも成績は低かったし、基本的なことも初めは分かっていなかったが、この先生と向き合えたことで逃げることなく克服できたのだと思う。
おかげさまで、二次試験の時の僕の武器は英語になっていた。
英文の読み方も、単語も、構文も知識レベルは中学生に毛の生えたレベルだったが、自分に真剣に向き合ってくれる先生と出会えたこと。
そしてその先生から真剣に学んだことで開花した。
前評判は前評判でしかない。
自分の目で確かめるまで納得できない性格は、回り道もするし時間もかかるかもしれないが自分のしていることに納得できる。
その結果回り道しようとも自分が選んだことだから、誰を恨むわけでもないし納得して進んでいるから後悔ではなく次への反省で留まる。
自分で選択しよう。
これが一番自分が納得できるのだ。