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本当に弱った時に助けてくれる人の凄さの話
こんばんはれじちょです。
今日はうさぎカフェに行っていたので書く時間が夜になってしまいました。
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かわいい、やはりうさぎはいいぞ。
さて、今回は本当に弱った時に助けてくれる人はすごいという話です。
本当に助けてくれる人の定義
私の場合、直接話を聞いてくれた人の事を指します。
うつ病で弱った時、心配の声をかけてくれる人、気の紛らわしに遊んでくれる人、話を聞いてくれる人、たくさんいてありがてぇ~と感じますが、その中でこの定義に当てはまる人は2人でした。この2人はすごいです、3つのポイントで説明します。
コストを支払って行動してくれた
コストというのは金銭と時間です、一人は遠方から新幹線に乗って忙しい中話を聞きに来てくれました。もう一人は焼肉をおごって時間も作ってくれました。どちらもわざわざ私の為にコストを使ってくれて行動してくれました、とてもありがたい話ですね。
酷く状態の悪い人間と関わってくれた
当時の自分は酷く落ち込んでいたため、誰かを楽しませようとかそんな気なんてさらさら無かったですし、なんなら攻撃的な人間になっていたと思います。周りに助けてもらいたいけど助けてくれないと他人への期待値を勝手に上げ責任転換、自分から人を遠ざけていたはずですが、そんな中に割って入って来てくれたのはさながら希望の光です。
独自の視点でアドバイスや助言をしてくれた
私が悩みを打ち明けると一人は感情的に同情を、一人は論理的に説明をしてくれました。二人の助言の仕方は風邪を引きそうなくらい違いました。
たとえば私が「皆があそんでくれなくて寂しい」というと一人は「それはさみしいですよねぇ」と同情し、一人は「別のアプローチをためしていけばいいんじゃない?」といいます。
なんとも不思議な感じでしたがこれはある意味自分の思考を深めるきっかけにもなりました。
今思えば話にいった順番が感情的に安心をもたらす人、論理的に改善を促す人の順に行ったのはカウンセリングの基本的な順番なのでたまたまだけど良かったなぁと思います。
話が脱線しましたが、独自の視点で言葉にできる人って凄いですねって事です。
心の底からありがとう
というわけで助けてくれた2人すごいって話でした。
P氏とC氏、感謝しております。
落ち込んだ時に本当に手を差し伸べてくれる人は感謝してもしきれないですね。
落ち込んでいるときはこういった手を差し伸べてくれる人は大切に、そして頼れるなら頼ってみましょう。
どうしても居ないならカウンセリング等、をうまく活用していきましょう。
しかし、文字にすると恥ずかしいですね、これ。
助けてくれる人がいて良かった~
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