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あれから今日でちょうど15年になるんだね。私の人生の中で、だんだんとママが居ない時間の方が長くなる日に近づいていくのが、寂しい気もします。
ママが天国に行ってしまってすぐの頃は、毎日毎晩泣いていたけれど、私がうつむいて泣き続けることをママは望んでいないはずと思い立ち、それよりも少しでもこの体験から学んで糧にしようと決意して、私の価値観はガラリと変化しました。

一番大きな決意は、「明日何が起きるかわからない。だから、今を精一杯生きて、今日この命が終わっても悔いのないように生きよう」と心に誓ったことでした。しかし、そう決めた当初は、とてもじゃないけど、ここで人生を終えたら、後悔だらけという状態だった。だけど、毎日毎瞬間、誓いから目を逸らさずに「今日を限りに」と生きていたら、3年ぐらい経った時だったかな、ある日「あ、私もう今日が最期でも悔いないや。それくらいやりきってる」て思えたんだよね。この人生に対する満足感というか、全力で毎日を送る充実感というのは、ママのことがあってこそ得られた感覚です。

当たり前のように「先が長い」と思えなくなったというのも正直あったんだ。めちゃくちゃ日常的な話をすると、それまでコンタクトレンズを買う時って、半年分とか一年分のレンズと洗浄液を買ってストックしてたんだけど、ママが亡くなってからは「半年先、生きてるかなんてわかんないし」と1-2ヶ月分のストックに自然ととどめるようになったのも鮮明に覚えてる。

私のことを「育てやすかった・勝手に育った」とよく言ってくれていたよね。


それから数年経って子どもが生まれると状況がまた変わって、わかってはいるんだけど、実母に育児のヘルプを当たり前のように頼る周囲のママ達を見て、私には羨ましく、そしてどうしようもない不足感を感じずにはいられませんでした。「手が足りなかった・知恵や経験を借りたかった」という思いもあったけど、それだけじゃなかった。初めての育児の時には特に、私自身の記憶にない年齢の我が子の日々成長していく可愛らしい様子を見て、単純に「ママ、私が2歳の時もこんなに可愛かった??」なんていう風に、確認したり、思い出を語り合いたかった。

「おちゃらけキャラ」「お調子者」ママからの私の定義は全部肯定的に受け止めていたけど、
もしやそうでもなかった??まぁいいや。


こうした思いをしてきたことも、事実ではあるけれども、それも経て、あらゆることを前向きに捉え、そして貪欲に生きられるようになって今、私は自分で望んでシングルマザーとして3人を一人で育てています。いえ、実際には一人ではありません。家の中では確かに大人は一人だけど、家の外のたくさんの人に助けてもらって、みんなに育ててもらっています。日々必死だし、余裕なんて無いけれど、状況が違えばまたその状況の大変さがあることは理解しているし、そういう意味ではみんな平等。その中で、私の経験・事例が、誰かの何かの役に立ったらいいなと、そんなことも頭の片隅に常に置きながら日々送っています。

大学時代3人で、イタリア・フランスへ
海外旅行のハプニングは箸が落ちても笑えるものばかりでした🤣

ママが最期に行ってくれた「好きなことをがんばってね」の言葉を今、実践しています。自分の生き様をそのまま商材にしたような事業を構築して、本来の私として、思いっきり表現しながら、人々の役に立つ仕事。
多くを語らなくても、知ってるよね。だって、一番近くにいつも居てくれてるもんね。
いつも見守っていてくれて、どうもありがとう。
この命を、この人生を、本当に本当にありがとう。

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