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【短編小説】大人の恋愛小説「初恋のジンクス」

※こちら↓のYouTubeで朗読しているオリジナル小説です。


「アッコ先輩とサナエ先輩の初恋って、いつですか?」

 午前中、いつも以上に機嫌の悪い主任の嫌味に飽き飽きしながら過ごした後、12時ぴったりに私たち3人はそそくさと休憩室にやってきたところだった。2つ下の後輩のミユは、さっき主任にねちねちとミスをあげつらわれていたのに、卵サンドのフィルムをスモークピンクに塗られた長い爪で器用に剥がしながらニコニコと尋ねてくる。
 切り替えが早いのは彼女のいいところだ。私はいつも感心する。

「いきなり初恋の話なんて、どうしたのよ」

 水筒からお茶を注ぎながら、サナエが尋ねる。注がれたコップからふわりと湯気が立つ。

「先週の土曜日、久しぶりに実家に帰ったら、偶然初恋の相手に会ったんですよ。ドラマならここで大袈裟なBGMがかかって、恋愛に発展するんでしょうけど、なんかぱっとしなくて…。初恋ってこんなもんなのかなあと寂しくなっちゃいまして」

 ミユが憂いを帯びた息を吐きながら頬杖をつくと、豊かな胸がより強調される。白いシャツにグレーのベストという地味な制服も、彼女が着るとどことなく明るげな印象になる。

「ミユの初恋の相手、どんな人だったの?」

 私は弁当箱という名のタッパーを開けた。鞄の中で傾いたのか、筑前煮の汁が白米に染み出している。

「3つ上の近所のお兄ちゃんですよ。小さい頃からよく面倒みてくれる優しい人でしたけど、小学校3年生の時、集団登校でいつも通り一緒に学校に向かって歩いてたんですね。私、昔からよく喋る子で足元を見ずにいたら、つまづいて転びそうになったんです。その時、お兄ちゃんが手を引いて抱き寄せてくれたおかげで転ばずにすんだんです」

「へえ!かっこいいじゃない」

 サナエはお弁当から唐揚げを摘んで咀嚼しながら笑った。

「そうなんですよ!その時、初めてお兄ちゃんを男の人だと意識して、この人と結婚したいなと思ったんです」

「小学3年生でしょ?ずいぶん大人びていたのね」

 私がその年の頃、そんな風に思ったことがあっただろうか。もちろん気になる男の子くらいはいたかもしれないけれど…

「で?そのお兄ちゃんとはどうなったの?」

「どうにもなりませんでしたよー。次の年、お兄ちゃんは中学に入ったので会う機会がなくなっちゃいましたし、しばらくして同じ中学の制服の女の子と手をつないで歩いているところを見ちゃって、私の初恋はあっけなく砕け散ったわけです」

「まあ、そんなものよね」

「今度は2人の初恋の話を聞かせてくださいよ!異性として初めて意識した相手ですからね。幼稚園の頃とかアイドルの話はなしですよ!」

「じゃあ、アッコから」

「えっ?私?」

 サナエから話すとばかり思っていた私の箸から筑前煮のこんにゃくが滑り落ちた。

「名前順ってことで」

「もう、調子いいなあ…」

 2人の興味津々のキラキラした瞳には抗えず、口を開いた。

「中学2年の時、相手は同じクラスの男の子だよ」

「おお」と2人の声が重なる。

「どんな人だったんですか?」

「うーん、中学生にしては落ち着いた人だったよ。でも愛想が悪いわけではなくて、同じ班で作業するときとかは協力的だった」

 今まで何年も思い出したことがなかったのに、話し出すと鮮明によみがえる。猫背ぎみの背中、模造紙と油性ペンの匂い、日光に輝く赤茶色の髪。

「その人とは結局どうなったの?」

「実は告白して──」

「えっ、アッコ先輩やりますね!付き合ったんですか?」

「ううん、結局付き合わなかったの」

「そっかあ」

 ミユは自分が振られたように一瞬眉を下げたかと思えば、次はサナエに顔を向けた。

「サナエ先輩の初恋はいつだったんですか?」

 お茶を一口飲んでから話し出した。

「中1の時よ。相手は社会科の先生」

「おお!ませてますね!さすがサナエ先輩!」

 ずいとミユは顔を寄せる。

「同級生の男子が子どもっぽくてさ。先生は一番身近にいる大人の男性だったからね。中3までずっと好きだった」

「純愛ですねぇ。告白したんですか?」

「卒業式の日にね。まあ、当然振られたけど」

 サナエはお弁当の卵焼きを口に放り込んだ。

「初恋は実らないって、本当なんですねえ」

「そりゃそうよ。恋愛の行き先は別れか結婚しかないんだもん。初恋で結婚まで行く人なんて稀なんだから、大体は実らないのよ」

「結婚しても、離婚という結末もあり得ますからね。サナエ先輩も気を付けてくださいよ」

 ミユに脇を小突かれ、「うちは大丈夫ですぅ」とサナエは笑った。

 初恋は実らない。実らなかったとけじめがつけば、未来への糧にできる。でも、実ったかどうかわからない初恋はどうしたらいいのだろう?蓋をして目を背けてきた疑問が吹き出した。

 

 キリノ君は私の前に座っていた。

 細い背中を少し丸めると、首の後ろの骨が浮き立って見えた。私の学校は男女混合で名前順に並んでいたから、クズミという名字のおかげでキリノ君の後ろの席になった。最初から彼を気にかけていたわけじゃない。とはいえ、前を向けば彼の姿は必ず私の視界の入るわけで、数学の授業ではまじめにノートを取っているのに、英語の時はうつらうつらしているなあ、とか、たまに窓の外を眺めているなあとか、自然と気づいてしまうのだ。

 彼は休み時間にぎゃあぎゃあ騒ぐグループとは距離を置いていたものの、話しかけられればにこやかに返事をしていたし、班で理科の実験をしなければいけない時は、とても協力的で棚にしまわれている重い顕微鏡を、誰に頼まれるでもなく、「俺がとって来るよ」と運んできてくれた。

 でも私が彼に惹かれたのは、性格のせいではなかった。彼の髪の毛が魅力的だったのだ。こげ茶色で、太陽の光を受けてなびくと赤茶色に輝く髪。その輝きに目を奪われ、いつまでも見ていたいと願った。それから彼を見つめているうちに、彼の内面の魅力にも気づいたというのが正直なところだ。


 9月終わりの金曜日、夕方のことだった。私とキリノ君は日直で、クラスのごみ箱のごみ袋を縛り、1階の校舎裏にあるごみ捨て場に一緒に運びに行った。キリノ君は当然のごとく重い方を持ち、私の袋は振るとカサカサと軽い音がして、まだ余裕がありそうだった。

 その日は晴れていた。雲が太陽を遮ることはなかったけれど、さすがに夏は終わりを迎えていて、心地よい風が吹いていた。私たちはブロック塀で囲われたゴミ捨て場に袋を投げ込んだ。

「戻ろうか」と手をパンパンと叩くキリノ君の声に重なるように、野球部と思われる男の子たちの掛け声が聞こえた。

「野球部かな」

 なんとなくこのまま戻るのはもったいない気がして、私は彼に話しかけた。

「そうだね。ランニングでもしてるんじゃないかな」

 キリノ君が声のした方に顔を向ける。植木の陰になってグラウンドは見えないはずなのに、優しい瞳をしていた。その時、風に吹かれて彼の髪が揺れ、赤茶色の髪がきらりと光った。今までで一番美しい瞬間だった。

「私、キリノ君が好き」

 考える間もなく、口から飛び出していた。今日の日直は楽しみにしていたけれど、告白までするつもりはなかった。キリノ君は驚いて目を丸くしている。私も同じくらい驚いた顔をしていたかもしれない。

「だからその…できたら、付き合ってほしいな、なんて…」

 顔が熱い。手に汗がじわじわにじみ出してくる。

「えっと、ありがとう…。突然でびっくりした」

 彼はうなじをさすった。

「その、返事はもう少し待ってもらえるかな?ちゃんと考えたいから」

「う、うん。もちろん」

 私たちは適度な間隔を保って教室に戻り、それぞれ帰路に就いた。

 結局私は、返事を聞くことができなかった。

 キリノ君は翌日交通事故で亡くなってしまったからだ。

 

 その知らせを月曜日の朝、担任から聞いた時、驚きすぎて涙すら出なかった。その夜のお葬式には、クラス全員で出席することになった。

 棺の中の彼は頭に包帯を巻かれ、頬に小さなかすり傷があった。その姿を見ても、亡くなっているとは思えなかった。太陽の光が届かない棺の中では、彼の赤茶色の髪が輝かないのが残念でもあり、その美しさを私だけが知っているという優越感もあった。

 

 キリノ君はなんて答えるつもりだったのだろう?

 サナエの言う通り、初恋なんて叶わないのが普通だ。もし付き合えても、いつか別れを迎えていただろう。いや、案外交際が続いて、結婚して、彼と同じ赤茶色の髪の子どもを抱いていたかもしれない。

 実ったかどうかもわからない、私の初恋。ふわふわと浮き続けている私の初恋。それでも彼を好きになってよかったという想いだけが、私の心にしみわたっている。


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