044.実るほど頭を垂れる稲穂かな
連日の猛暑に局地的な大雨、冠水や落雷など、いつから夏はこんなに過ごしにくくなってしまったのかと思わざるを得ません。
それでも、季節は少しずつ移り変わっていきます。
自宅の近くには田んぼが広がっています。
少し前まではピンと立った稲で青々としていた田んぼが、いつの間にか穂に色がつきはじめ、少しずつ稲穂が垂れ下がってくるようになりました。
もう少しすると、稲刈りの時期です。
毎年の風景ですが、この垂れ下がり始めた稲穂の様子を見ると、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉が頭に浮かびます。
私はこの言葉が好きで、私の生き方の一つの指標にもなっています。
仕事上での出世や社会的地位の向上だけでなく、ただ一人の人間として、成長をしても謙虚さを失ってしまわないように。
歳を重ねるほどに謙虚になれるように。
謙虚になるという考え方だけでなく、いくつになってもしっかりと頭を下げられる人間でいられるように。
皆さんの解釈とは多少なりとも異なるところがあるかもしれませんが、私はそのように解釈をしています。
謙虚さはとても大事です。
また、その謙虚さを行動に移せることもとても大事だと。
「謙虚」の対義語は「傲慢」ですが、傲慢にならずに謙虚でいられるからこそ、見えてくるもの、学べるものがたくさんあるのではないでしょうか。
傲慢になりたいと思う人なんていないと思いますが、なぜか傲慢な人、他人に対して横柄な態度をとってしまう人が少なからずいるのが現実です。
傲慢であることは、視野を狭めることにもつながりますし、学ぶことを放棄することにもつながります。
自分にとってプラスになることはあまりありません。
注意をすれば防げるはずなのに、心掛けで防げるはずなのに、それをしないで自分にとってマイナスになる言動をしてしまう。
それは、とてももったいないことだと思います。
自分自身が傲慢な人になっていないか。横柄な態度となっていないか。
私は、私の言葉や行いが「相手の立場に立って考えられているか。」「相手のことを思いやった言葉や行いになっているかどうか。」などで判断し、注意をするようにしています。
これは仕事上でとても大切なことだ思っていますし、プライベートでも同様です。
どちらかというと、プライベートほど気をつけるようにしています。
どのようなコミュニティーでも、どのような相手でも、たとえ我が子が相手でも、相手の立場に立って考え、思いやりを持って関わり、自分が間違ったことをしてしまったときにはしっかりと謝り、また自分が助けてもらったようなときにはしっかりと感謝の意を表すことができるような人間でありたい。
毎年この時期は、色づいて頭を垂れ始めた稲が、謙虚であることの大切さを思い出させてくれます。
実って頭を垂れた稲穂から、噛めば噛むほどおいしくなるお米ができるように、謙虚でいられるように心掛け、歳を重ねれば重ねるほど味のある、そんな人間になっていきたいと思います。