【たっくん】_081 言葉の概念が人間を曖昧にする
言葉は断定ではないと思うのです。
「あなたは障害者で、こういう障害を持っています」。医者が、そう言ったから、そうなのだ。断定ですか?
自分は、YouTubeで、ある動画を観ました。
「障害という概念は医者が作り出したビジネスである」と。
最近、発達障害という概念が少しずつ広まりつつありますが、あくまで発達障害は社会で生きていくことが困難であり、コミュニケーション能力に問題があると医者が決めた障害である……というふうに考えることができる……気がします。
「自分は○○障害だから、しょうがない」と、言ったとしても企業は助けてくれません。
でも、社会という側面で見れば、障害者手帳を持っていたら、障害年金をもらうことができるし、完全に見捨てられているわけではないという点は忘れないようにしたいです。
結局、自分が、ここで、どういう話に持っていきたいのか、ということについて書いていきますが、あまり、人間の発する、自分の脳の中に存在する言葉の数々に惑わされすぎないようにしたほうがいいと思うのです。
「あなたは○○だから、こうしたほうがいい」と言われたとしても、それに従う筋合いはないのです。
「自分は○○だから、××なんだ」と、自分に結論を出さなくてもいいと思います。
健常者と障害者は完全にふたつに分けることができるか、と言えるか、というと、できません。
私たちは最初から曖昧で常にグレーな存在であると、思うようにすればいいのです。
「○○だから正義である。××だから悪である」と、断定できないのが、社会なんじゃないか、と思うのです。
矛盾しない人間は、いない気がします。一貫性のない人間がいたとしてもいいのです。
一本筋が通らないくらいにブレブレのほうが人間らしいと思いませんか?
そう思わない医者がいるから、私を障害者にしたのかな? それは、わからないけど……。
自分の発する言葉そのものに意味がなくてもいい、と思いたい。ウソか、ホントか、それは本人がわかっているから言っているのか、わかっていない状態で言っているのか。
……結論として、私が、なにを伝えたいのか、ということに話を持っていきます。
言葉の概念があるからこそ、人間社会は発展していった部分は確かにあるのだけど、その言葉そのものは断定ではない、ということを伝えたかったのです。
言葉に変換できない、未知の言語を作っても、いいかもしれない。
言葉で言い表せない心の中に対して、むりやり結論づけなくてもいい。
障害者という枠組みを理屈っぽく語る必要性があるのか、ということを言いたかったのかもしれない。
ちょっと今回の内容を曖昧にしたところで終わろうと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。