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教えてあげない ── 『こちらあみ子』/今村夏子
「どうしたの?」
「どうもしません」
「なんで笑ってんの?」
「先輩たちが笑ってるからです」
ルミたちはお互いの顔を見た。誰も笑ってなんかいなかった。
自分で言うのもなんだけど、私は社会と調和できない人間ではないと思う。どちらかといえば、調和しようと思えば思うほどどんどん調和してしまう人間だ。適応能力が高いともいう。
この世界はあまりにも広すぎて、どこにだって居場所はあると思ってしまう。居場所はいつも多すぎて、煩わしくて、持て余してしまう。
でも、そうではない人間がいるということも、当然知っている。調和したいにせよ、したくないにせよ、調和しないし、できない人間はいる。そういう他人と出会ったとき、私はいつもたじろぐし、苛立つし、けっきょくのところは逃げ出してしまう。それでおしまいだ。彼らの人生は続くけど。
お風呂に入ればいい。と思っている。
あなたが入りたいのならば、いつでも。
ひとりでできないのならば手伝おう。頭の洗い方がわからないのなら教えよう。石鹸やタオルを持っていないのなら貸し出そう。入りたくないのならば、それもかまわない。
でもおそらく、私のしようとしていることはすべて間違いだとも思う。私は求められれば、躊躇なくそれらのことができるだろう。一方で同じとき、私はすべてを放り出して行方を晦ますだろう。私の中に、生まれるはずのない優位性が芽生えることに耐えられないからだ。
私は笑っている。あみ子を笑う人間に、「なんで笑ってんの?」と聞いて、その実、私がもっとも彼らを笑っていることに私自身が気づいてしまう。
あみ子の幼なじみの坊主頭は、彼女のことを「気持ち悪い」と言う。それならばとあみ子は、彼に自分の気持ち悪いところを教えてほしいと頼む。
「教えてほしい」
坊主頭はあみ子から目をそらさなかった。少しの沈黙のあと、ようやく「そりゃ」と口を開いた。そして固く引き締まったままの顔で、こう続けた。「そりゃ、おれだけのひみつじゃ」
ひみつなのだ。それはもちろん優しさでもないし、友情でもない。それこそが調和だ。嘲笑い、罵倒する、口にピーナッツを放ってやる、でも、教えてはあげない。そうすればわたしたちは、偽りの対等を手にすることができるんだもん。
(2020.02.14)