障害の受容と喪失感と絶望と2
皆さんこんにちは。ホップステップジャンプのようちゃんです。今ジャンプしたら足くじきそう・・・・( ̄▽ ̄)体めっちゃ重い
さて、前回の続きで父の障害についてのお話です。またまたちょっと重たい話ですが、ナンでも食べながら気軽に見てみてくださいね(`・ω・´)ゞ
父が盲学校に入ってから半年が過ぎたころ。
父が目覚めてあたりを見回すと真っ暗であった。
父「あれ、カーテン閉めっぱなしやったかな。カーテン開けよう」
父「うーん、カーテン開けても暗いままやわ。なんでやろう・・・・」
父は歩いた。暗いためゆっくりゆっくりあるいた。そして廊下らしきところに出た際、寮母の方が声をかけてくれた。
寮母「田辺さん、おはようございます。まだ朝ご飯には早いですよ。」
父「そうですよね。まだ外は真っ暗ですもんね。」
寮母「いえ、外はもう明るいですよ。ほらっ!!」
その時、父はようやく自分の異変に気付いたそうです。そうです。完全に失明してしまっていたのです。昨日までは右目はまだ見えていたのに。
父は寮母に説明し、病院に連れて行ってもらった。もちろん実家から母も呼び出され金沢大学附属病院の眼科へ。
先生「完全に失明しています。これ以上どうしようもありません。ほかの症状(腹部症状等)に関してはお薬で症状を和らげることができますが・・・」
父は再び絶望しました。ただ、以前のように自分から・・・ということはなくなったみたいですが・・・・
盲学校在学中に墨字(印刷された字、一般的な字)から点字に切り替えるのも相当大変だったみたいです。最初のころは口頭で先生に問題を言ってもらい、それを口頭で答えてカセットテープに吹き込んでいくスタイルでテストを受けていました。
ただ、盲学校には同じ境遇の仲間がいました。そして将来の伴侶となるうちの母もいました。
また、父の大変お世話になっていた方からの言葉が父を前向きに変えたといいます。その時のことを父はうれしそうによく語っていました。
父が失明して間もないころ、母がとあるところの人物にお話ししてもらおうと半ば無理やり父を連れて行ったのでした。仮にその方をAさんとします。
Aさんは、父の話を聞くなり、こういったそうです。
Aさん「よかったね。失明して」
父はその時、ものすごく腹が立ったといいます。なんてこと言う人だ。なんと人の気持ちがわからない人なんだ‥‥と。
しかし、Aさんは話を続けます。
Aさん「田辺君、君は車が好きだったんだね。その好きな車でドライブしている際、もしかしたら人を引いてしまったかもしれない。自分だけでなく、ほかの人も巻き込んで不幸にしてしまったかもしれない。」
Aさん「あくまでも可能性の話だけど、そのようなことはないとは言えないよね。神様はそれを見て田辺君にあえてそのように失明させたのかもしれない。何かきっと意味はあると思うよ。」
私は父からこの話を聞いた時、
私「Aさん、なんて胡散臭いんやろう…屁理屈やんけ」
と思ったものでしたが、実際に言われた父はストン・・・と心に響いたそうです。そこから父の前向きな人生が始まったそうです。
結局、人間大きなことに躓いた時、解決できるのは自分自身であり、また自分の気の持ちようであるんだな。と父から話を聞いて思いました。
ただし、その絶望の淵から這い上がる際、多くの人の手助けが必要になるのも事実であると感じました。
私は理学療法士です。このような状態に近いところにいます。父の実体験を胸に利用者様に寄り添うリハビリを提供していきたいと思います。