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映画の感想 「おしゃべりな写真館」鹿追のカメラを持った男の物語

わたしの記憶では、ヒッチコックは「映画術」で町が主人公の「伯林大都会交響楽」のような映画を撮ってみたい、といっていました。
新聞、登校、競争、踊り、飲食。
人がいれば、似た要素が集まります。

「伯林大都会交響楽」1927年製作
「伯林大都会交響楽」1927年製作

伯林が鹿追ならどうか。
「とかち鹿追・春夏秋冬いとおかし」といったところかしら。
人の営みには嘘はつきものです。この映画はフィクションです、と始めた方が真に迫れると思います。
もしドキュメンタリーにしてしまったら、わたしは前田真三の写真集のようになってしまうのでは、と感じました。初めて前田氏の写真を見たとき、良くも悪くも人が「見る」ことの楽しみを奪う写真であり、旅の出会いに憧れより不満をいだかせる影響力を思いました。一番乗りのドヤ顔が透けて見えるような、印象でしょうか。
鹿追の光を観たいと、多くの人に思わせるためには、今作のような劇映画でなければなりませんでした。
観た人が、つっこみどころがたくさんある、一見稚拙な映画でなければならない。不足を補う想像力を刺激する嘘っぽさ、作り物っぽさがなければなりません。
築100年の写真館。
夢の中の結婚式。
なにより、冒頭の虹のシーン。
自然の僥倖が、作り物に見えるなら、それこそが映画を作るひとびとの仕事を感じとることになります。
わたしにこの作品を紹介してくださった方は、スタッフとしてメイクを担当しています。
1年にわたって四季とともに撮る作品で、画面に登場するひとびとのまつ毛一本まで、最高の技術がいきわたっています。久々に観た「10.80m × 4.50m」のスクリーンで違和感がない、というのが最高の賛辞になる技術をわたしは「見た(=見なかった)」のです。

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