「また生き残ったな」
先日大河ドラマ最終回の「七人の侍」の引用を見て、脚本家はこれがやりたかったのだろうなあ、と。それでふと思い出したある本の感想文を引っ張り出してきました。
2011年12月のメモ。
嶋中労著「コーヒーの鬼がゆく」感想文
知人の画家は完成した作品について、製作意図や局所的解釈を尋ねると、それは観る人それぞれの解釈にお任せする、観る人の自由な感じ方を阻害したくないといいます。絵や音楽や料理などは、後のち人が言葉を尽くして記録し評価し表現することで価値が高まります。
失礼ながら意地悪くいうとダイヤモンドカップは、主人公が発見した一種の究極の解答や、結論の類で、この本の主人公「鬼」はその証明のために一生をかけました。「七人の侍」の宮口精二演じる死に場所を探す孤高の剣士を連想します。自分を証明し続ける剣士に、木村功の若侍や三船敏郎の菊千代までが憧れます。しかし、物語を遡るとふたりは当初志村喬演じるカンベエについてきたのです。
このカンベエ、おかしな喩えですが、自分が毎日登っていた高尾山に他人を誘って登る人です。それがあるとき山がミシュランガイドに掲載され、一躍脚光を浴びますが、その山に登った回数や同行した人の数を把握していないので無名の登山者なのです。「鬼」の方は、エベレストを目指す三浦雄一郎を思い出します。
「鬼」の本には、「憑かれ御三家」がよく登場します。その中でもっとも自らを言葉で著わしている「バッハ」店主は、あえて比較すれば「カンベエ」でしょう。「守るは攻むるより難しいで」と言いながら、彼はプロの戦の職人なので「また生き残った」となります。「勝ったのは百姓たちだ」とよく自分の役割をわきまえています。戦死した仲間は、村で崇められる神になりますが、プロは生き残ってしまうので人のままです。
一生に二度のエベレストを目指す男と、毎日高尾山に登る男の違い、かしら。この文庫版にはキサンジンセンセの解説が憑いています。このキサンジンセンセは毎週山走るブロガーなので、この本の解説者としては誠に相応しい。
21世紀はブログから著名になる人もいます。まず思い出すのはカワグチヨーコ氏。正直記すと、研究者としてもジャーナリストとしても、芳しからざるブロガーです。作為的にうっかり「四国のお遍路はサカウチがよい」と漏らしてしまうようなタイプと理解しています。
わたしは、キサンジンセンセと、1986年ころ、とある勉強会で知り合いました。中学校の恩師が、出入りしていた喫茶店でそこの店主と意気投合し続けていた勉強会です。当時、中学校が校内暴力などで荒れていた時期で、わたしの通った中学校は校内暴力の「ない」モデル校でした。もっとも捏造喧伝されたといった方がよいくらいのモデルでしたが。当然、その教諭が近所の喫茶店に出入りするなど、歓迎されない時代でした。ところが、すでにそこには、今風にいう哲学カフェがあったわけです。いわゆるヨーロッパ的にいう読書会かと、思います。
その喫茶店は開店当初から、店のオーナーからお客様に対して自発的積極的に問いかけ働きかけする喫茶店でした。店主夫妻は、せっかく来店したお客様について、黙って帰したら二度と会えないかもしれない、そう考えて、お客様に懇願して進んで面識を得るようにしていました。お客様との関係をできるだけ匿名性をなくしていく、いまならさしずめ地域の治安維持のために挨拶運動をしましょう、みたいなことです。
ダイヤモンドカップを目指す「鬼」が、キサンジンセンセ(のような時折しか来ないイチお客様)に対して店主として自己紹介や挨拶をしたとは、失礼ながら思えません。聞くところによると、「カンベエ」の方は遠くからわざわざ訪ねきたキサンジンセンセを面識のないまま帰したくない、と引き止め自発的に知り合ったようです。以来、キサンジンセンセは「無名のお客様」のひとりでなく、「キサンジンセンセ」という名前を与えられた人として、迎えられ続けることに(風の谷のジルとユパ様の出会いみたいかしら、そうキサンジンセンセは遍歴騎士でした)。キサンジンセンセ風にいう「凡庸な」喫茶店も「カンベエ」も、ずっと昔から匿名のお客様を根絶させることが、おそらくサービスでした。
わたしが「カンベエ」で目撃したのは、楽器のハードケースと思しき黒い箱を背負って入ってきたお客様に「何が入っているのですか」と店主自ら問うところ。中身は沖縄のサンシンで、アマチュアとして教室に通っている帰り、との回答。この問いかけひとつで、距離感が縮まったのかお客様はコーヒーをいれているカウンターにすっと座って、コーヒーをたてている若いスタッフに気楽に話しかけていました。
わたしは、中学生のときコーヒー好きの両親に連れられて、初めて「カンベエ」に来訪しました。30余年前、その時ウインナコーヒーをたのみました。そこに弱い地震がありました。ビルに建て直す前の古い家屋でしたから、思ったよりギシギシ揺れました。そこへタイミングよく常連らしき太ったお兄さんがノシノシと入ってきたので、わたしは可笑しくなって両親にホラホラあの人が近づいてきたから地震が起きたんだ、と失礼なことをコソコソ。両親は、その人がすぐ脇を通り抜けてカウンターに座ったので、わたしに可笑しがるの制しました。しょもない中学生は、だって見てご覧よあの人、と懲りずに座った男性の背中を指さし確認。その背中のさらに向こうで店の店主らしき人がコーヒーをたてながら、君の言うことは尤もだ、と肯いているのを見つけました。きっと笑いのツボが共通だったのでしょうか。いまでもわたしは「カンベエ」の甘いウインナコーヒーが好きです。コーヒーメニューの「本直し」かしら。最近のは甘さが控えられて残念なのです。わたしは、大のサトウ好きなので。実は「鬼」のコーヒーは2、3度しか飲んだことがありません。「鬼」とは出会うことはありませんでした。お客様に挨拶してまわるような人ではなかったから、それだけの理由です。「カンベエ」はコーヒーの有名店ですが、その店主はウインナコーヒーをたのむ人にも「ようこそ、わたしが店主です。これからコーヒー以外の話をしましょう」。
思い出話になってしまったので、追加感想を。
文庫版233ページに「----手紙も300通はありましたでしょうか。そのほとんどは面識のない人たちからで、中身は----」とあります。300人のお客様と面識がなかったことは、現代のカフェとしてどう解釈したらよいでしょうか。意図的に面識を得なかったのか?好立地で忙しかったので時間がなかったのか?同189ページには、「鬼」の弟子の方の自身の接客時の談話として「----初めてのお客さんがいきなりカウンターの、それも目の前に座ったりするでしょ。すると、もう私の神経はふつうではなくなってしまうんです。下を向いたっきり口もきかない----」とあります。著者は弁護として190ページに「----何度か通ううちに店主と顔馴染みになり、そのうち----」と記すのですが、この鬼弟子、師の評伝著者にはずいぶんと雄弁です。そしてついに、198ページでは「----マスターは晩年、『ついに俺の味をわかってくれる人はいなかった』と、よく嘆いていました----」と。この真摯な評伝の著者には意地悪い引用になってしまいましたが、こう編集しなおすと、お客様と共に歩む姿勢が欠如しているのではないかしら、と疑ってしまいます。
トドメはキサンジンセンセの解説です。270ページ「----憧れて、年に5、6回は訪店し(中略)自己の焙煎や抽出に関する技能を心密かに競わせる修練の場でもあった----」。もしかして、この「鬼」はいわゆるお客様とは直接対話をしていないということでしょうか。
意地悪ついでに、文庫版表紙の写真を見ると、「真っ白な」ネルの向こうから光が注しています。この「エアドリップ」意味するところは。
うーん、22ページのように「しまいにはみんな無口になっちまう」。
もしこの「鬼」がおしゃべりだったら、この著者がここまで関心を示したでしょうか。わたしには、南縁草を自ら露を落とさず枯れさせた結果、自らも枯れざるを得なかった栴檀のように思えてきました。そんなに強がらずに、どうか南縁草にも露を落としとくんなはれ。真摯な著者の代理「露落とし」といえる本書が、「鬼」のお弟子さんたちの南縁草を元気にさせることを、祈らないではいられません。
(南縁草、栴檀、露落としのエピソードは「百年目」という落語に登場。「百年目」を引用した内田樹氏のブログで経済のトリクルダウンを説明した。)