終戦直後に機雷掃海部隊で殉職した大伯父の軍歴証明書請求のきっかけと現時点でわかっていること
はじめに、軍歴証明書を請求することにしたきっかけと、証明取得前の現時点で爺ちゃんと爺ちゃんの兄弟について知っていることを記録しておきます。
この記録が軍歴証明書を取り寄せてみようか検討している方の参考になるかはちょっとわかりませんが、自分が軍歴を調べたところで記録しておかなければまたいずれ闇に葬られてしまいますし、わからないことが出てきた時にあわよくば情報をお持ちの方から教えて頂けたらいいなーと思い、読み物として公開することにしました。
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軍歴証明書の請求を決めたきっかけ
─ 大伯父は海軍陸戦隊?
子供の頃から『お爺ちゃんのお兄さんは終戦直後に亡くなり、靖国神社に祀られている』ということは聞いていましたが、どういう最期だったのかは詳しく知らず…。
子供の頃からオタクとまで行かずとも人並み以上にミリタリー好きだった自分ですが、詳細を聞く機会はありませんでした。自分から聞かなかっただけですが。
それから特に情報は得られず数年が経ち、昨年祖母が亡くなりました。
祖母の形見分け 兼 爺ちゃんの引っ越し準備をしている最中『戦没者等の遺族に対する特別弔慰金』の紙を見つけた爺ちゃんが、お兄さんについて少しだけ話してくれました。
話によれば、お兄さんは衛生兵だったので比較的安全な立場におり戦争では死なずに済んだが、終戦後に北海道へ駆り出され、機雷の掃海作業中に殉職してしまったとのこと。
これは片付けの最中の2、3分の雑談だったのでこの時点ではそれ以上聞いていません。お兄さんを駆り出したのはアメリカだったか日本だったか忘れましたが真偽不明です。
そして引っ越しの片付け後に引き取った救急箱(家では米びつとして使われていたw)がどうやら戦地から持ってきたものだということが分かり、それっぽいキーワードで検索してみると、以下の資料が見つかりました。
こちらの資料によると、救急箱は海軍陸戦隊のものらしいです。
ちなみにヘッダーの写真がうちにある救急箱です。
この数ヶ月前からゴールデンカムイにハマり(最推しは月島軍曹と鯉登少尉です!)ミリタリー熱が8年ぶりに再熱していた自分は、これは絶対に調べ上げておきたい!!と思ってしまいました。
しかし、調べると言っても、手がかりは陸戦隊の救急箱と終戦直後に北海道で殉職したことだけ。
本人は終戦直後に亡くなっていますからもちろん直接話を聞くことはできません。爺ちゃんも兄弟とは言え他人なのでお兄さんについて1から10まで知っているわけではありません。
『そう言えば、従軍歴って調べて貰えるんじゃなかったか?』と思い出して検索してみると、ありました!
軍歴証明書が取り寄せられる!!
と、ここまで道が開けたものの、腰を上げたのは約10ヶ月後でした(最初の気合は何処へ…)。
大伯父について現時点で知っていること
─ 機雷掃海部隊殉職者名簿に名前を発見
大正生まれの爺ちゃんはもう90歳を超えており、まだまだ元気ですがコロナもあるしいつ何が起きるかわかりません。
そろそろ急がないとヤバイ…と思い、今週からやっと軍歴証明の準備を始めました。
軍歴証明書の照会に当たって、
調査のヒントになるような事をなるべく詳しく書かなきゃいけないそうなので、少しでも手がかりを増やすため、知っている限りのキーワードで検索したり、改めて爺ちゃんに聞き取り調査をしたりしました。
昨年お兄さんの名前で検索してみても何も出てこなかったのでその時は諦めたのですが、もう1度『北海道 掃海 戦後』みたいなキーワードで調べてみたら、1つのpdfに行き当たりました。
航路啓開史
『これってもしかして…?』と思いながらスクロールしていくと、殉職者名簿が。名前…あった…!本籍地も父親の名前も、確かにお兄さんです。
ツイートでは大叔父と書いてしまいましたが祖父の兄は大伯父だそうで…すいません。
戦後の掃海で検索すると朝鮮戦争時の話が引っかってくるのですが、朝鮮戦争は太平洋戦争”直後”ではないので違うなぁと思っていたんです。でも、やっと見つけました、終戦”直後”の話。
この資料『航路啓開史』と爺ちゃんの話からわかったことをまとめると、
・お兄さんは衛生兵
・終戦後は衛生兵時代の知識を活かして薬局を開こうとしていて、あの救急箱を3箱送ってきた
・敷設艇新井崎に乗艦、室蘭沖で昭和20年10月5日殉職(殉職者は本人を含め10名)
・死亡時は下士官
・戦後の掃海作業での殉職者は合計79名
・靖国神社ではなく香川の金比羅山に碑がある?
ここで初めてなぜ救急箱が家にあったのかがわかりました。海水浴やマリンスポーツが安全に楽しめるようになったのはこの機雷掃海部隊のおかげだったと言うことも。もしお兄さんが生き延びていたらどうなっていたんでしょうね。
そして、疑問点。
海軍の階級や兵科に明るくないのですが、爺ちゃんの話では確かに衛生兵なのに、殉職者一覧では『一術曹』になっています。これは技術科だったということでしょうか。となると、掃海部隊に所属するに当たって衛生科から技術科に転科したのでしょうか?軍歴証明で分かることかも知れませんがすごく気になるのでご存知の方がいれば教えてください…。
結局陸戦隊だったのかどうかは軍歴を手に入れてからになりそうです。
そして、お兄さんは靖国神社に祀られていると聞いていたが、実際の所、香川の金比羅山に殉職者たちの碑があるだけだということ。しかし合祀されていないというのは朝鮮戦争時の殉職者に対してしかはっきり言及されていないので、終戦直後の殉職者は爺ちゃんの証言通り靖国に合祀されているのか。それとも単に爺ちゃんの勘違いなのか。
あと、救急箱はどうやって持ち出したんだ?と思ったのですが、資料サイトに載っている救急箱の持ち主も戦後に薬の行商等をしていたようなので、仕事に使いたい人は貰えたんでしょうかね。
ついでに長男と爺ちゃん(三男)の軍歴証明も取ることにしてみた
のですが、ちょっと長くなってしまったのでその話は『続・今の時点で知っていること』として別の記事にまとめようと思います。
長男は陸軍、ここに出てきた大伯父:次男は海軍、自分の爺ちゃんも海軍だそうです。
軍歴証明の準備の段階で参考にしたサイトも別の記事にまとめる予定です。
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