読書と音楽鑑賞
#費用対効果 がとっても高い極上の娯楽 #本 と #音楽 はどっちも膨大な数の #傑作 ぞろいで、たとえ生涯をかけたとしても、その傑作群のごくわずかな、取るにも足らぬ切れはじを、不完全に知ることになるだけなのだと、知ったうえでもなおそこへ、自分なら新たな傑作をくわえることができると信じる者だけが、自らの #創作 へとむかえばよいのだと思います。
しかし、なにも傑作には遠く及ばぬまでも、自分なりの創作に貴重な時を費やすのも、もちろん本人の選択であれば、他者がとやかく言う問題ではありません。
そしてまた、どんな傑作よりも遥かに重要なものとして、膨大な数の名もない平凡人が生きているこの精密で、巧妙で、無限な #世界 があるということなのだろうと思います。
55年前に19歳で 物質的恍惚 - 岩波書店 (iwanami.co.jp) ル・クレジオ 著 を読んで以来、自分は残りの生涯を、すでにある傑作群中のごくわずかな、取るにも足らぬ切れはじを、不完全に知ることに徹した方が絶対に幸せだろうとあっけなく納得し、創作する喜びではなく、享受する喜びで満足しています。
そしてまた、その後の55年間で接した傑作群中のごくわずかな、取るにも足らぬ切れはじを、不完全に知ってみたところ、どうやら誰であれ、その人の生涯自体が、それを表現しうるかもしれないどんな芸術をも凌駕しており、ひたすらその生を全うすればそれでよろしい、と(過去の傑作群中の多くが)言っているように現在では感じています。
名もない一平凡人の生涯(実人生で経験する諸々のじたばた)が、過去何千年にも亘る #人類史 上に名を刻む傑作群をも凌駕すると感じてさえいれば…、我々 #人間 はこの世界に対してもっと #謙虚 であらねばならぬと感じてさえいれば…、 #令和 日本のTVドラマをめぐる #悲劇 ( #脚本家 の #驕り #原作者 の #自殺 )も、きっと避けられたに違いありません。
過去何千年にも亘る人類史上に名を刻む傑作群ですら、実世界や実人生のごくわずかな、取るにも足らぬ切れはじを、不完全に表現しているに過ぎぬとするなら、自分ごときの創作物に語られるだけの値打ちがほんとうにあるのだろうか、と謙虚に考えてさえいれば…、脚本家にしても他人の原作を安易に改変したりはせぬだろうし、原作者にしても #漫画 作品の #TV化 に際する齟齬や誤解による揉め事を苦に #自死 を選んだりはせぬだろうと言うことです。
本来、非凡な #創作家 である以前に、ごくあたりまえの良心や良識を備えた安心できる隣人でなければ、 #商業的成功 も #社会的名誉 も決して望めないのが健全な世界です。