パッセンジャー・ナルシス(2012/9、宮城)
昔作ったブックで、東日本大震災から1年半経った宮城県での写真です。
2011年のあの震災の後、自分に何ができるのだろうと考えましたが、少しの募金をするくらいで何もできないまま時が過ぎていきました。
当時は東京に住んでいて揺れを感じたものの、連日報道される被災地の映像と自分の立つ場所との間には、どこか隔絶とした感さへありました。
分からないのなら行ってみればいい。震災から1年半が経って、「被災地に行く方が迷惑」というムードから「被災地に観光してお金を落とす方がいい」という風に世情が移ろっていたことも後押しになりました。人生で初めての東北。行く前に仙台出身の友人に話したら「魚がおいしいらしいよ。栄養が増えたから。」と返され、東北にいる間は魚を見たり食べたりするたび、その言葉を思い出しました。
「その土地に住んで、その土地の人間になって撮ったのでなければ嘘だよ」と年長の方に言われたことがあります。でも、その土地に関わりのない、なんの責任も負っておらず、したがってなんらの感傷に浸る権利も持っていない、ただ通り過ぎるだけの人間のそのままの視点や内心を飾らず正直に写す、そんなアプローチが自分なりに真っ直ぐに被災地と向き合うことになるのではないかと、仙台に向かう電車に揺られながら考えました。
見返してみると冗長で取り留めもない並びで、実はこの1年後に写真を半分以下に削って構成し直したブックも作りました。でも、かえって冗長でまとまりのないことが被災地から帰ってきた直後の自分の心情を表しているようにも思われます。
今でも覚えているのですが、この写真をブックにまとめてグループ展に出した後、2年くらいまとまった写真が撮れなくなりました。
撮れない、というのは、「自分にそれをするだけの正当性があるのか」という疑問がシャッターを切る前に頭に浮かんでしまったからかもしれません。バイトでスクールフォトを撮っていて、行事が重なる繁忙期で「お客さん(保護者・生徒)が買ってくれる写真、卒業アルバムに載せやすい写真」を変に意識しすぎて撮っていたことも、「自分にとって写真撮るってなんなんだろう」という疑問を投げかけました。それまで撮っていた街中でのストリートスナップも気が進まなくなり絵に描いたようなスランプ。
それでもやはりカメラが好きで、色々なカメラやレンズを触りながら、今は「ああ、カメラが撮りたいものを撮ればいいんだ」と思うようになりました。
実際はカメラが撮りたいものなんて分からないのですが、ハッセル ならウェストレベルファインダーから覗く光景が眩く見える時、シグマのDP2sなら横や斜めから光が溢れんばかりに注いでいて目測5mのMFで撮れる場面、ノンコートの戦前のレンズならモノクロで階調が綺麗につながって出る窓辺や曇りの日に撮る。そんな、カメラの目を借りられて幸せだと感じるような楽しみ方をできたら素敵だなと思います。
Minolta TC-1、Pentax 645N、A 45mm f2.8、Planar c80mm f2.8 T*(マウントアダプター使用)、Kodak T-MAX400、D76 1:1希釈