水車小屋のネネ(津村記久子/著)
身勝手な親から逃れ、姉妹で生きることに決めた18歳の理佐と8歳の律。たどり着いた町で出会った、しゃべる鳥<ネネ>に見守られ、人生が変転し…。というキャプション。
読む前は、なんでかこのお話、ファンタジーだと思ってたんですが(『水車小屋』と『しゃべる鳥』ってワードのせいかな?)、別に異世界とか不思議事件とかは出てこない、現実の物語でした。でもある意味ファンタジーではあるかも?
1981年。
短大の入学金を母親が勝手に婚約者に渡してしまったために進学できなくなった理佐は、虐待まがいの状況にあった10歳下の妹・律を連れて家を出ます。まがいというか、かろうじて暴力には至っていないけれども現在の基準から見たらはっきり虐待です。
仕事と格安の住まいがセットになっているというだけの理由で決めた働き口は、お蕎麦屋さん。隣接する水車小屋で回している石臼で蕎麦粉を挽いていて、その石臼の番をしているのがネネという鳥でした。
ネネは『ヨウム』という種類の鳥で、オウムのように人まねのおしゃべりが上手です。わりとほんとに会話になってることもあります。
理佐と律は、ここで周囲の人々に助けられながら、なんとか二人の暮らしを立てて行きます。ちょっとハラっとするところもありますが、概ね事件らしいこともない日常の物語です。
お話は4話+エピローグで構成されていて、2話目は10年後の1991年、3話目はさらにその10年後、4話目がさらに10年後と10年区切りになっていて、エピローグが2021年です。8歳で登場した律は、エピローグの時点では48歳ですね。
1話目は理佐を中心に展開しますが、2話目以降は主に律や新たな登場人物たちを描いています。
印象に残ったのは、全体の3分の1ほどを占める1話目でした。
理佐は18歳、高校を卒業したとはいえ、バリバリの未成年(1981年当時だからね)、何をするにも親の同意が必要な歳です。高卒で親元を離れて働くのは珍しくないとはいえ、小学生の妹を連れて(=養いながら)というのはかなり異例だし厳しい状況でしょう。実際、ほぼ身一つの状態からのスタートで、まずは冷蔵庫を買うためにお金を貯めよう、それまでは生鮮食品は毎日使い切りという生活です。
雇用主のお蕎麦屋さん夫妻やネネの世話をしてくれていた画家の女性を中心に、周囲の人々は様々に二人を手助けしてくれますが、理佐はそれに過剰に頼ろうとはせず、しっかり自分の足で立っています。その姿が好もしい。
私が近所に住んでたら、困ったらおばちゃんとこおいでね、ごはん食べさせるから!って気分になります(笑)
そしてもう一つ、読者は理佐を全面的に応援する気分で読みますが、母親(とその婚約者)が「おまえは不貞腐れてろくに話そうともしない」「外で何をしているのか得体が知れない」という趣旨のことを言うわけで、自立しようとする子供がいわゆる「不良」に見えることもあるのかな、なんてことも思いました。目を開いて見ようとしなければ見えないものはたくさんある。
長いスパンのお話で、ネネがいることでこの水車小屋に関わる人々が入れ替わりながら現れるわけですが、それぞれが何となく手を貸し合いながら、それぞれの道に進んでいきます。ネネが物語を繋ぐ縦糸になっているようです。
1話目で際どいタイミングで口添えしてくれた、律の小学校の担任だった藤沢先生は、その後もずっと律を見守ってくれることになりますが、後段で語った「誰かに親切にしなきゃ、人生は長くて退屈なものですよ」という言葉が、この物語を集約しているように思います。
最初に「ある意味ファンタジー」と申しましたのは、現実にはこんなふうに善意を繋いでいって、それぞれの道が立ちゆくというのがなかなか難しいと思うからです。
それでも、こんな社会であればいい、困った人がいたら誰であれ手を差し伸べられる世界であればいいと思いました。