今世で超えていくこと②
そういうの早く教えてよねー
へ?悩みって趣味なの?芸風なの???
わたしがそれを知ったのは4年前です。
それまで一所懸命心の鍛錬をして、思い込みや歪んだ信念体系を修行僧のようにニュートラルに更新するトレーニングをしてきたわたし。
20代の頃、”Iメッセージ、youメッセージ”の概念を知り、ほほう、エゴってのがあるんだ。わたしって、他責にしてばかりでエゴまみれじゃん!ヤナやつサイアクー!と言うショッキングな事実を受け止めて以来、エゴやトラウマやインナーチャイルド、アンコンシャスバイアスに自己概念の影、発達心理学や人にどう伝えるかの言語化なんかを学んでは定着化するという、自分と向き合う鍛錬トレーニングです。
修行のような鍛錬をしてきたわたしにとって、自分と向き合う新方式の理論は、拍子抜けするようなシンプルさで、最初は半信半疑でした。
「あ、悩みってのは、趣味っていうか芸風なんよね。結局、悩む振動数を自ら選択してるってことなんだよね」「この世は全て素粒子でできてて、感情も神様も振動数なんよ」みたいなこと(超ざっくりな話ね。詳細はご自身でお調べくださいませ。)を当たり前みたく言われて
「はぁ?!なに言ってんのこの人。人間の心の複雑さナメとんのか?この人、人生経験浅いんかな?新手の商法かなんか?なんか怪しない?」ってなりましたとも(笑)
でもね、脳と心のしくみや霊的成長なんかの研究って日進月歩なんですね。特に、人工知能をつくろうと試み始めたこの6、70年くらいに、いろんなことがわかってきたようです。
心はどこからくるのか
「心はどこからくるのか」は人間が知りたい永遠の謎で、古くは紀元前に、プラトンやアリストテレスが研究していました。デカルトの時代には「心の座は脳にある」とされ、現代の科学者の共通の大前提が「心は脳でつくられる」となった説もあるとか。
脳の活動は全て電気信号のやり取りで行われていることも判明しています。電気信号と電気信号の間では、メッセージ物質がやり取りされていると唱える研究もあります。
1983年のリベット博士の実験を皮切りに、人間に自由意志はあるのかについて論争が巻き起こったり、それまで脳がサボってると思われてたタイミングに、実は脳が使う全エネルギーの7割を消費しているとも言われるDMN(デフォルトモードネットワーク)というひらめきの素がつくられる状態になっていることがわかってきたり。
脳が人体の司令塔だと思われていたのも大昔の話。各臓器が自ら意思を持ってメッセージを出し、血液を通して他の臓器が受信して反応するのであって、全てが脳を介するわけではないということもわかってきています。
わたしが心を鍛える修行僧をやってる傍で、脳と心の研究にパラダイムシフトが起こっていたとはつゆ知らず。しかも、アナログ放送が地デジになったようなパラダイムシフトです。選択したくてももうアナログ放送は使えません。
脳と心、意識と無意識、量子力学の世界で、それまでの当たり前とは異なる説が唱えられています。
二重スリット実験やシミュレーション仮説なんかは、素人ながらも納得せざるを得ない現象を感じるので興味津々です。
この世界はいったい何なのか
「人間はどこから来たのか」「誰が何の目的で人間をつくったのか」「神が創造したのだとしたら、神は誰がつくったのか?どこから来たのか?」「この世界はいったい何なのか?」ずっと知りたくて、細々と書籍を読んでは新しいことを知り、胸がきゅんきゅんするワクワクを楽しみに生きているわたしは、脳と心や量子力学の進化を知った当時、調べたり学んだりをとめることができませんでした。
新しい発見を学べば学ぶほど、人生は自作自演、一人一宇宙、全ては振動数だということが、実際の出来事と符合していく面白さの虜になります。
ずっと前にそのことに気づいた内面鍛え先頭集団の旧修行僧の先達は、そのしくみを理論立て、取り扱い方をみんなに分かりやすく教えてくれる時代になってたってわけです。そういう大事なことは早く教えてよねー!!(笑)
まあそれでも、人間が解明できていることはまだまだ大宇宙のほんのちょびっとで、解明が進めば進むほど「この世界はいったい何なのか」の謎も増えますから、わたしの未知へ好奇心はまだまだ掻き立てられ続けそうです。
古いお土産 ビリーフシステム
パラダイムシフト前も後も変わらないのは、無意識領域にミルフィーユのように積み重ねられたビリーフシステム(思い込み)を剥がす作業です。
ビリーフシステムを剥がせば剥がすほど、ものごとの捉えかた(認知)がニュートラルになるので、意識が拡大して可能性が広がり、人間が元来持つ力をフル活用でき、ひいては、生まれてきた意味を全うできることに繋がります。
新方式では、ずいぶんシンプルなやり方でビリーフシステムを剥がせるらしいと知り、喜び勇んで試してみました。そこで立ちはだかるのがビリーフシステム(思い込み)です。
意識では「簡単よ!この振動数を手放して統合すればいいんだもん!」って新しいやり方を歓迎してるんですが、無意識領域では「そんな簡単にビリーフシステムが剥がれるわけないじゃん。昔のやり方で苦労しなきゃ剥がれないよ。」って頑として譲りません。
人間の防衛本能が正しく作動し、コンフォートゾーンから出まいと引きとめる無意識の強烈なパワーがはたらきます。他方、枠を超えていきたい意識とのせめぎ合いです。脳と心のしくみを絵に描いたような構図(涙)
特に、わたしのように昭和ブロックどっぷりの石頭ビリーフは頑なで、取り扱いに苦労します。頑なな上に複雑に絡みあってるビリーフもあったりして。
まあ、最近は、新たなビリーフを見つけると、「まーだこんなビリーフ持ってたんかーい」なんて、自分でツッコミながら、軽やかに、でも諦めず、コツコツとビリーフシステムを取り扱えるようにはなっています。
ビリーフの種類や質はどんどん軽くなっていきますが、埃や雑味みたいなビリーフはずっと出てくるらしいから、ビリーフ更新作業は死ぬまで続くんだろうな。
今世で超えていくこと
ビリーフ更新作業は続けるとして。
ってことはですよ。
わかちゃんの場合、心の成長を喜ぶステージはもう上がりってことです。
どういうことかというと、内的な心の観察と成長は放っておいてもやるんだし、しかも新しいシンプルな方法を習得しつつあるんだから、心の成長はデフォルトモードになっているわけで、やって当たり前のこと。それを振り返って喜んでる場合じゃない。
その先。今世で超えるべきは、その先のもっと深いところにある核心の部分に近づき、「核心ど真ん中で生きる」を実践することなんだと思うんです。
ひとつ、ステージクリア。新しいステージへ。
あといくつステージがあるんだろう。残りの人生でいったいどんな世界まで目撃できるんだろう。